読書会が初めての方向けシリーズ最後の記事です。
もっと調べてから参加を検討したい!という方にとって他に気になることといえば「どんな雰囲気かな?」とか「主催してる人はどんな人なのかな?」という事ではないでしょうか。怪しい人がやってんじゃないの?という不安がおありではないかなと思います。
どんな雰囲気かについては、開催レポートの最新版もしくは参加しようと考えている会場のレポートをチェックしてみてください。
この最後の記事では、私自身のことを少し詳しくお伝えしたいなと思っています。①で漫画版を掲載してますが、こちらでは彩ふ読書会を立ち上げる前から行っていたこと、立ち上げてからのこと、その他諸々を今まで書いてきたものからピックアップして編集しました。
このページさえ読めば今日からあなたはのーさんマニアです。一時間ほどのーさんについて語れるくらいにはなっていることでしょう。おめでとうございます。
さあそれでははりきってまいりましょー!
目次
本当の出発点
今は「のーさん」という読書会名で定着してますが、彩ふ読書会立ち上げ当初は「ののの」という名前を使っておりました。Twitter等ではまだ使ってますが、この「ののの」という名前から、まずはご説明させて頂こうかなと思います。
時は2011年。
「ののの」という名前のワタクシがネット上でひっそりと産声を上げました。もちろん本名ではありませんが、本名から一文字使ってはおります。現実世界の自分とはちょっと違う「ののの」という自分。言うなればもう一人の自分っちゅーやつですね。特に何かを意識して名付けたわけではなく、ただ単にゲームで名前をつける際に面倒くさくて付けた名前です。でも使ってる内に愛着がわいてきて結構気に入ってます(笑)
2011年頃の私はほとんど読書をしていませんでした。
小学生の頃には父親の愛読してた『タッチ』と『クッキングパパ』を読んでいたり、小学校の図書室でコナン・ドイルのシャーロック・ホームズやモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズ、江戸川乱歩の怪人二十面相、横溝正史の三国志などを読んだりしてました。コロコロやらボンボン、ジャンプ、サンデーなんかも読んでいました。
中学生時代には上遠野浩平さんのブギーポップシリーズ『イン・ザ・ミラー パンドラ』をシリーズ四作目だとは知らずに手に取ったのがキッカケで、ブギーポップシリーズにもハマりました。何となく本を読んでいた時期を終えて自発的に読み始めた頃。さらに中二病。ちょっと人とは違うんだぜって雰囲気を醸し出したい私にドンピシャな作品でした。キノの旅とかも好きです。遊戯王とGガンダムは私の黒れ・・・・・・青春です!
高校生になっても中二病真っ只中だった私がハマったのは山田風太郎でした。最初に読んだのは『魔界転生』です。表紙美麗でボリューム満載な本を読んでる俺ってカッコイイ!って思いながら読んでおりました。山田風太郎の作品で一番好きなのは妖説太閤記。何度も読み返しているくらい好きな作品です。表紙も美麗で好きすぎる。
とまあ学生時代はある程度マンガやら小説を読んでいたのですが、大人になって働きだしてからは読書する時間の余裕も気持ちの余裕もなくなり、2011年頃は完全にゲームオンリーでした。あ、ゲームも小学生の頃から好きです。父親が誕生日にスーパーファミコンのマリオカートを買ってきてくれたのが始まりでしたね。友達にもゲーム好きがいたので家に行ってボンバーマンやらくにおくんやらぷよぷよやらをやってました。ゲームも身近な存在です。
2011年頃は携帯ゲームにハマってました。まだスマホゲームではありませんよ!モバゲーとかグリーとかのやつです!!某ゲームにめちゃくちゃハマっておりまして、ハマりすぎてネット上に某ゲームのサークルを作るくらい、ハマっておりました。
そう!
この時に初めてサークルを作りました!
ここ!
私にとっての結構なターニングポイントです!!
いつも流されっぱなしだった私が「サークルを作ろう!」と決意し、実際に行動にまで移したのです。
文章を考えて、形を作って。ののの第一章、始まり始まり!ドキドキしながら色んな人に声をかけたら沢山の方が仲間になってくれて、楽しい日々が始まりました。やり始めたら問題もたくさんありました。けれど、今まで関わることのなかった人とゲームの話題で盛り上がったり、ゲームにちなんだオリジナルイベントを企画してみたり、小説を書いてみたり、東京で初めてオフ会を開いたりしました。私自身はとにかく楽しかったです。
実はこのゲームサークルを作る前、東日本大震災がありました。東日本大震災は、私にとって色々と考えさせられる機会でした。
ご存知の通り、関西では1995年に阪神・淡路大震災がありました。その頃の私は小学生で、まだ関西に住んでません。地元・九州の某県にいたのでした。大震災の事はテレビで知ってはいても、申し訳ないのですがやはりどこか自分とは関係のない場所で起きている事だという認識でしかありませんでした。
関西に引っ越してからも、同世代の友人と震災についてお話する機会はありませんでした。ふざけるのが流儀ですのでね!真面目な話ってのはほとんどしなかったのです。年上の方と接する機会もあまりなかったので、震災当時のことを知る機会はありませんでした。あまり触れたくない方もいらっしゃるだろうなあと思うと、私から話題を振ることも出来ませんでした。唯一自ら震災の時の様子を教えてくれたのがyukiでした。当時の事を明るく語ってくれましたが、どう受け止めたら良いか分からず「大変やったんやねえ」という返ししか出来ませんでした。当時の話をお聞きしたい気持ちはありますが、お聞きした際にどう受け止めたら良いのかは今でも分かりません。聞くことしか出来ないと思います。
社会人になってからたまに「あの頃大変やったやろ?」なんて聞かれる機会もありました。そのたびに「その時いなかったんです」と言わざるを得ません。そこで終わってしまう会話。その当時関西にいた方同士ならばその一言だけで通じることなのに、通じ合うことの出来ないもどかしさ。拭えない部外者感、疎外感。たまに複雑な気持ちになる事がありました。
東日本大震災のあった2011年、その頃の私は新たな仕事に就いて三年くらい経っていた頃でした。障害のある方と関わる仕事で、そこで今も働いています。東日本大震災があっても、自分たちの仕事は変わることなくありました。いつものように出勤して、障害のある方とレクリエーションをやって、時間が来たら終わり。けれど、やはり雰囲気はガラリと変わっていました。阪神・淡路大震災の事を思い出してしまう方々も沢山いらっしゃって、それは利用者の方ばかりではなくスタッフの方もだったからです。自分だけがのほほんと日常生活を送っていて良いのだろうか?と、周囲の方々の様子を見て、初めて自問自答し始めました。
ボランティアで現地に行く方が周りにいました。私も行こうと思えば行けたけれど、色々と自分に言い訳をして行けませんでした。結局タイミングを逃してしまい、ボランティアには行けていません。現地に行った彼らの行動力や熱意に引け目を感じました。しようと思えば出来るはずなのに何もしようとしない、やはりどこか他人事のように思ってしまう自分に嫌気がさしました。
言い訳にはなりますが、当時の私はリハビリ期間中のようなものでした。前職でボロボロになり、生活全般も荒れていた時期でした。この仕事に就いて障害のある方やスタッフの方々と関わる内に徐々に明るさを取り戻し、三年かけてようやく浮上しかけていた頃だったのです。
前職で上司の上司から言われて傷ついた出来事があります。会社のためにと思ってやった事に対して、「余計な事しやがって!」と一蹴されてしまった事です。上司の上司とはそれまでほとんど話をした事もなかったのですが、わざわざ私宛に営業所に電話をかけてきて一方的に怒鳴り、ガチャ切りしてきました。周囲からは優しい上司だと高評価だったので私も優しい人なんだろうなと勝手に思っていたのですが、本性はこっちなんだろうなと思ったのと同時に、人が怖くなりました。その後、私の方が正しいと証明されたのですが、上司の上司からは謝罪の言葉はありませんでした。もう名前も顔も覚えていませんが、この出来事だけは深く覚えています。自分は決して同じような事はすまいと心に誓いました。
新たに就いた職場は皆優しい人でした。
福祉の世界って独特だなとは思いますし、ちょっと考えが甘すぎるんちゃうの!?って思う事も多々あるのですが、前職やそれまでの出来事で疲れきっていた身としては、その優しさにすごく救われました。何だかんだで十年以上働いてますし、この仕事と職場の人々に出会えて良かったなと思います。もし社会の波にのまれて疲れている方は、障害福祉に飛び込んできてみても良いかもしれません。不謹慎かもしれませんが歴史もあってかなり奥深くて面白い世界ですよ!
その優しくていつも楽しく日々を過ごしている方々でも、やはり東日本大震災のあった後は暗く沈んでいました。けれど、関西にやってきた頃とは違って、ここでは阪神・淡路大震災についても気兼ねなく教えてもらえました。現在は福祉避難所(避難行動要支援者が避難生活をするための、特別な配慮がなされた二次避難所)などもありますが、阪神・淡路大震災のあった時は障害のある方もない方も一緒になって同じ場所で避難生活をされていたようでした。そこに障害の壁はなく、手伝いが必要な部分は補い合いながら自然な形で避難生活を送っていたとのことです。支援制度がある程度整ってしまった事で今は逆に障害のある方とない方の間に不要な壁が出来てしまっている、と当時を知る方は嘆いておられました。
以前、読書会で畠山健二さんの『本所おけら長屋』を紹介して下さった方の紹介内容がとても印象的でした。この著書では、今でいえば障がい者であろう人物が出てきます。よく問題を起こすようで仲間からもバカにされてはいるようなのですが、住人たちは彼のことを腫れ物扱いして遠ざけるような事はせず、決して仲間はずれにはしないそうです。そこが良いのだと語っておられました(確か)
自分たちとは違う存在をコミュニティから外せば、コミュニティ内部は平和なのかもしれません。気の合う者同士でずっと集まるのであれば、それはそれで楽しいのは確かです。けれど、それは本当に平和なのだろうか?気の合う者同士じゃなければ楽しくないのだろうか?と、私は疑問符を打ちたくなります。確かに一時的には平和になるかもしれませんが、ちょっとした違いから、また別の誰かが標的になるだけではないでしょうか?そうして自分たちと違う存在を外していけばいくほど、徐々に排除する理由も細かな事になっていき、最終的に残るのは自分だけになってしまうのではないでしょうか?
特に障害のある方は、ひとくくりには言えませんが、やはり全体的に経験不足感が否めない所はあります。けれどそれは身体的精神的な障害が原因ではなく、その人と社会との間に壁があるからではないかなと私は思います。その壁こそが障害ではないかなと。例えばカラオケオフ会とかあったとして、そこに障がいのある方がふらっと参加されるような事はまだなかなかないのではないでしょうか?仮にあったとしても、健常者(あえてこう書きますが)の方は接し方が分からなくてドキッとしてしまうのではないでしょうか?反対に、障がいのある方が何か企画したとしても、集まるのは同じように障がいのある方々や、障がいのある方々と既に関係のある事業所のスタッフばかりではないでしょうか?この健常者と障がい者の壁はとてつもなく大きなもののように思っています。
家族と、仕事として関わってくる方しか周りにいなければ、予定調和な生活が繰り返されるだけ。それでも生きていけるけれども、価値観を広げるのは難しい。その事に本人も気づけない。ここらへんの部分で、私は伊藤計劃さんの『ハーモニー』やジョージ・オーウェルの『一九八四年』がいつも思い浮かびます。私自身の価値観を押しつけるわけにはいかないけれども、本当にそれで良いのだろうか?幸せなのだろうか?と、身近な障がいのある方々を見ていていつも心配になります。
仕事として関わる方の中には、仕事の枠をはみ出して「この人とこういう事をしたい!」という思いを持って関わる方もいらっしゃいます。でも、全体でいえばやはりごく一部ではないでしょうか。制度とか関係なく外部の方々が新しい風となって交わっていくこと。彼らとどう関わるのか?関わる機会を作っていけるのか?私は障害福祉の側面でしか物事が見れてない所もありますが、障がいのある方以外にも、こういったちょっとした違いから出来る壁はそこかしこにあるような気がしてなりません。
・・・・・・脱線してますね!
仕事の話になるとついアツくなってしまうのは、大体いつも通りです←
まあ、何だかんだで私もこうした仕事があったから障害のある方々と出会えた部分もあります。普段は仕事という側面での関わり方をしてはいますが、いざとなったら仕事は関係なく彼らの支援に入りたいなと思っています。そう思えるほど彼らの事が大好きです。一方でこのスタッフは多分仕事としてしか捉えてないだろうなー、いざという時でも何もしないだろうなーって方もいます。熱量の差はどうしてもありますが、まあ何せより良い方向に進むと良いなあと思います。
さて、脱線から戻ります。
そんな暗く沈んだ彼らを見ていて、何か出来ることはないかな?と考えるようになった私。けれど、当時はまだ三年目で、ペーペーのペー男さんでした。妄想家なので思いつくことは沢山ありましたが、やりたくても出来ないことが多かったです。もどかしさを紛らわすために某ゲームに更にのめりこみました。ただ、そのハマっていた某ゲームの方も空気感がガラリと変わっていました。某ゲームには公式サークルがあったのですが、こちらも東日本大震災後はほとんどコメントがなくなってました。ゲームの中でやりとりしていた方々の何人かと連絡がつかない。それでもゲームは出来るけど、どこかぽっかりと穴が空いた気持ちでした。
仕事の方はどうすることも出来ないけれど、ゲームの方なら何とかなるんじゃないか?
当時今よりも更にエネルギッシュだった私は、公式サークルとは別のサークルを作ろうと思い立ちました。サークル設立は2011年の3月20日か21日でした。あの当時の空気感を考えると不謹慎だったかもしれません。けれど、こんな時だからこそ日常をふっと忘れられるような何か、せめて関わる身近な方々だけでもクスッと笑える何か、自分にも出来る何かを作りたいなと、そう思ったのでした。
流されっぱなしだった自分が自ら考えて実際行動にまで移れた、ここがターニングポイントです!
東日本大震災が考えるキッカケとなったのですが、直接何かしらの支援をしたわけでもなく、全く別の事に労力を注いでいます。その引け目もあり、これまで書けなかった部分でもありました。震災を話題に出すのはちょっとどうなのか・・・・・・と思っていました。
けれど、ここが私の本当の出発点です。ここから「日常をふっと忘れられるような何か、せめて関わる身近な方々だけでもクスッと笑える何か、自分にも出来る何か」として、ゲームサークルが生まれました。
そしてこのゲームサークルもまた、彩ふ読書会が生まれた原点です。いうなれば彩ふ読書会は「ののの」としての活動第二章。もっと先には、もしかすると第三章もあるのかもしれません。そこでようやく私は直接的な支援にシフトしていくのかもしれませんし、そうではないのかもしれません(どっちだ)
ゲームサークル主催時代
自分で作ったゲームサークルは、三年近く続けました。メンバー数は1000人を超えてました。入ったもののコメントしない方もいましたし、ゲームやめたけどサークルには入りっぱなしという方もいましたので、1000人といっても実質やりとりしていたのは20~30名前後でしたが、ここで色んなオンライン企画を実施していました。例えばクイズをしたり、しりとりをしたり、24時間以内に書き込み数を1000突破しようぜ企画をしてみたり、夏フェスやったり。今はもう時間の関係で出来ませんが、リアルタイム小説企画なんかもやってました。TRPGのようなもので、参加者が選択した内容をもとに一日で私が小説を書く。書いた内容をもとに更に参加者が選択して~という、クオリティはさておき、かなり盛り上がるものでした。40人分それぞれの分岐点を一日で書いてたりしましたからね。エンディングは40人全員違うものになるのでヒイヒイ言って書いてました。まあ、今と同じノリです(笑)同じ感じではありますが、逆に言えばこの時に色々と経験させてもらえたからこそ、今があります。私が現実世界でやりたくても出来なかったことを満たしてくれる場であり、「ののの」というネット上のキャラクターは「何か面白そうな事をやってくれる人」という人物像でした。
ただ、ここでも私はやりたくても出来ない、という思いを抱いていました。それは、自分の立てたゲームサークルが、当たり前ですが公式ゲームに依存してしまっている事が原因でした。ゲームの方では急遽特別イベントが開催される事がよくありました。サークル内で事前準備してたイベントと日程が重なることがあり、その度にモチベーションが下がっていました。あくまでもゲームがメインです。でも、私の中ではサークル運営がメインとなってきていました。三年近く続けたとはいえ、後半はほとんどゲームもしていないのにサークル運営だけをしている感じでした。
プライベートな方もあまり充実していたわけではありませんでした。仕事でも、やりたくても出来ないもどかしさがありました。そんな自分自身の身の回りの環境が原因で、物事全てに対してのモチベーションが下がってしまっていました。ゲームサークルはそれらと切り離していたはずなのに、サークルにも影響が出てしまい、最終的には別の人に引き継いで離れることにしました。
サークルを離れる前、一度サークルメンバーとお会いしました。ネット上の集まりなので三年間の付き合いはあれども顔は知らないという状態だったのですが、一度会ってみようとなったのです。「ののの」という自分はいわばもう一人の自分なので、その頃の現実世界の自分とはちょっと違っていました。先の東日本大震災からの流れもあり、無理に明るく振る舞っていたのです。絵文字もバンバン使っていました。会ったらドン引きされやしないかと、ちょっと怖くもありました。けれど、やはり三年間私の色んなわがままに付き合ってくれた方々と会ってみたい。あー、でもやっぱり怖い!会いたくて会いたくて震えてました(これジワジワくるやつー)
初のオフ会は東京で実施しました。主要メンバーのほとんどが東京だったからです。私が関西から東京に行けば済む話だということで、東京に決定。オフ会初企画初開催地という意味でも東京には思い入れがあったりします。三年間ネット上では付き合いがあったとはいえ、初対面の私たちはかなり緊張しつつの初顔合わせでした。日程調整などは出来たものの、当日オフ会を仕切る事はほとんど出来ませんでした。オフ会経験者の方に手伝ってもらって何とかその日一日を過ごすことが出来ました。
不思議なことに、その時のオフ会には障がいのある方も一人参加してくれていました。遠方に住んでいる方だったのですが、このオフ会のために東京まで来てくれたのでした。ネット上では障がいがあるとは分からなかったですし、私も仕事で障がいのある方と関わっている事は特に言っていませんでした。それでも、既に三年間ネットでの関係性があったから、メンバーの誰も特に抵抗感はありませんでした。オフ会参加者の一人が車椅子を自然に押しているのを見て、「あ、これだな」と思いました。バリアフリー化が進んで施設や公共機関等での利便性は良くなっても、ソフト面ではまだまだだと感じます。そういったソフト面の壁をなくしていきたいのが、私の密かな野望です。また仕事の話に戻ってますね!!
サークルの話に戻ります。
結局離れてしまったのだから、自分にとってこのゲームサークルは失敗だった・・・・・・と、思ってしまった時期もありました。でも、その時に経験できた事があります。やってみたからこそ出来た経験です。たくさん刺激ももらいましたし、考えさせられる事もたくさんありました。「何をもって失敗というんだい?」と今の私は思います。もちろん、当時は悩みに悩んでおりましたが!
関わる必要がないっちゃないから不必要かもしれない。でも、居心地の良い場所。集まれば何だかほっこり出来るような場所。色々脱ぎ捨てられるような空間。家や職場で嫌なことがあったら物事全てが嫌になってくることもあると思うんです。でも、逆に一つでも「居場所」があれば、大切な何かに気づくことが出来れば、物事全てが良い方向に向かうかもしれないとも思います。今度は自分のためではなく関わってくれる方々のために、そんな「居場所」を作っていきたいなあ。
・・・・・・という事を、このゲームサークルを離れた後に考えておりました。ずーっと考えていたわけではありませんが、ずっと頭の片隅に残っている感じ。実際にはある程度「居場所」は出来ていたのかもしれません。でも、自分自身が本当は何をやりたいのか、当時の私にはよく分かっていませんでした。それがサークルを離れてしまった要因でもあると思います。
「ののの」と名付けたネット上の自分も、色んな事を経験してきて愛着のある名前でしたので、いずれは復活させたいなと常々思ってました。ゲームサークルとは現在コンタクトは取っていませんし、ログインパスワード忘れてしまったので存在しているのかどうかも確認出来ない状態ですが、私にとっては今でも大切な場です。
彩ふ読書会誕生!
このゲームサークルを離れてからしばらく、模索の日々が続きました。何か活動をしたいけれど何も思いつかなかったのです。二年半近くネット上での活動は何もしませんでした。
その間、現実世界では身近な方の訃報が続いてました。自分の祖父も亡くなったんですが、仕事関係の方や昔お世話になった学校の先生、ついでに言うと飼っていたペットも亡くなりました。昔と比べると関わる方が増えているし年を重ねていけば当然あることなんですが、ちょっとまぁ多すぎるなぁといった感じでした。
付き合いが深くなればなるほど互いに何かしら影響を受けてるもんやと思います。
亡くなった方はそれぞれ私の価値観や物事の捉え方なんかを変えてくれたり広げてくれたり教えてくれた方でした。生前もっと関わっておけば良かったとか、何であの時あんな態度とったんやろかとか、色んな後悔や思いを抱きました。後悔してるくせに同じようなことを繰り返してしまって自己嫌悪したりなんかして、なかなか消化しきれないまま忙しさに追われて目を背け、日々を過ごしてました。
ゆっくり振り返る機会を頂きました。振り返ったことで、ようやく自分の中で色んな事が消化できました。それと同時に、何か本質的なものを掴めたような気がしました。
今なら何か出来る気がする・・・・・・!!
その「何か」が何かまでは分かりませんでしたが、その時そう思ったのでした。それが2014年。そして迎えた2015年。新年早々インフルエンザにかかりました。出鼻をくじかれた感がありました。しかし!これこそがターニングポイントだったのです。
久しぶりに読書しました。
インフルエンザにかかり「暇だったから」というのと「何か一つの事をやりきった感が欲しかったから」というのが理由です。暇な時にはゲームするかネットサーフィンしていたのですが、ちょうどやりたいゲームがありませんでした。ネットサーフィンは終わりがなく、延々と続けていけるのですが、やりきった感がない。
・・・・・・本読んでみようかな?
一冊読み終えることが出来たら、やりきった感も味わえるんじゃないかなーと。ふと思ったのでした。その時に手にした作品が面白くって、ミステリーものにハマりました。その後すぐ『新世界より』や『ソロモンの偽証』に挑むという暴挙に出ましたが、それは達成感を味わいたかったからってのも大きいですね!あれだけの量を読んだったぜ!みたいな。
よし、せっかくなら1日1冊、365日読了してみよう!
途中、心が挫けそうになり(笑)いや、マンガも読書だよ!と言い張って水増し(水増し言っちゃった)し、仕事関連の薄ーい本(30ページ程度)も追加し、何とか365冊読了!!マイルールのもとに実施したものですし、1年で1000冊以上読まれる方もいらっしゃるので他の方と比べても仕方のないことなのではありますが、何となくダラダラと流されるままに生きてきた私にとって、これをやり遂げた事はこれまた一つの大きなターニングポイントでした。
あれ?全然苦じゃない?
自分って読書が好きだったんだなー。
と、途中で気づくことが出来たのであります。
この読了記録をつけるために使っていたのが読書メーターです。感想はつけてませんでしたが、読んだら「読んだ本」をポチーっとしていました。そしてニヤニヤする日々を送っておりました(笑)読書メーターでは、イベント一覧というものやコミュニティがありまして、地域毎にも見ることが出来ます。ネット上の集まりってオフ会くらいしか知らなかったんですが、そこで「読書会」なるものを発見しました(はず?)
そしてグーグル先生で検索したら某読書会がヒットしました。なにここ!めっちゃレベル高そう・・・・・・!でも、めっちゃ楽しそう!!他にも色んな読書会さんはありましたが、ホームページの完成度の高さがマジ卍で!開催レポートもしっかり書かれていて、扱う課題本も普段手に取らないものばかりでかなりレベルの高さを感じました。私の読書会初体験を捧げる場所はここしかないと感じました!!うふ(笑)
しかし、現実的に日程が合わない・・・・・・!!その曜日出勤日ー!!毎日のように開催レポートを閲覧していくうちに参加したい気持ちがどんどん膨れあがる。でも、仕事で参加出来ない。こりゃあ自分自身の環境をまず何とかせねば・・・・・・と思いました。
年度変わりの時期、私は「この曜日は出勤出来ません」と職場に告げました。そう、主な理由はこの読書会に参加するために、です!他にも色々と参加してみたいものがあったのですが、出勤日だからと諦めていたことが多々ありました。これはほぼほぼ自分のために、の行為ではありますが、幅広い経験を得ることは、きっと職場にも還元できるものだと確信してのものでした。
そうしてその読書会に参加出来る条件を整えて。1日1冊、1年で365冊読了したことで自信もつけていた私。いざ、読書会へ!!
課題本形式の読書会なので、とりあえず読了して来ていたのですが、当日はレベルの高さに圧倒されました。かなり圧倒されましたが、一冊の本でこれだけの意見が出るのか!!と感心しました。次はもっと読み込んでこよう、と意を決して次回の読書会にも申込。しかし、本もしっかり読み込んできたはずなのに全然間がもたない・・・・・・!!あらかじめ用意してきた意見も、一瞬で言い終えてしまいました。あれ、あとは何話したら良いの?と、思いつつも、皆さんが色んなご意見を次々と放たれていて、時間はあっという間に過ぎていきました。
ここ、すげえ。来年度はどうなるか分からないけど、とりあえずこの一年は続けて参加してみよう!と、思ったのでした。
そして、サポーター募集のお知らせ。
え、何ソレ面白そう!!やる!やります!!
本について語ることも面白かったけれども、ここがどんな風に運営されているのかも非常に気になっていたのでした。すこしでも知りたい、という思い、それと読書仲間と交流したいという思いからサポーターを志願。このサポーター期間はとても有意義なものでした。
進行役をさせて頂いた事で、一参加者として参加していた時とはまた違った視点を持つようになりました。自分自身が楽しむだけでなく、同じ場にいる方々にどのように楽しんで頂けるのか、どのような問いかけや雰囲気作りだと皆さん意見が出しやすいのか、そういった事を学びました。ありゃあ失敗だったな・・・・・・という反省点も多々ありますが、そういった経験をさせて頂いたことはとても貴重でした。他にもお茶菓子の買い出しやら、打ち合わせ、戦略などなど・・・・・・勉強になることばかりでした。
サポーターを続けていくうちに、自分でもいつか読書会を開催したいな、という思いが沸々とわいてきました。他の読書会も気になりつつ・・・・・・いや、でもこれは裏切り行為では?なんて思いもありつつではありましたが、私に残された時間は限られている。だって、来年度どうなるか分かりませんからね!
限られた時間の中で、何をどうしていくか、どうしていきたいのか。
とりあえず筋は通しておかねばならぬな、うん。というわけで、裏切り行為にはならぬよう、きちんとサポーター期間はやり遂げてから、色々と動き出すことにしました。色んな読書会さんにも顔を出したりとか!嫁のyukiにも相談し、一緒にやっていくことにしました。夫婦で何か一緒に出来ることはないかなーという事は、実は密かに前々から思っていたことでした。我が家は同じ部屋にいてもLINEで会話するくらい「妻は他人」なもので!(子どもが生まれてからは密にコミュニケーションをとるようになりましたが、それでも互いに忙しい身なのでLINE会話は続いています)互いに好きなものや趣味があるから、何か共通したものはないかなーという思いがありました。仕事の都合でなかなか読書会に顔を出すことは難しいのですが、裏方的な事だったり一周年イベントの栞やネームプレートのデザインなど、そういった事はyukiがやってます。読書会談義で会話をする機会も増えたので、「計画通り!」と夜神月ばりにほくそ笑んでます(笑)
さて、着々と出来る条件を整えて、色々と準備を始めました。動き出してからは、え、これどうしたら良いの?というものの連続でした。サポーターとして色々とさせて頂いてたからか、自分でも出来るやーんと思っていたのですが、いざ全てを自分たちで作ろうとなると、分からないことだらけ。試行錯誤の日々を経て・・・・・・ええい、面倒だ!最終的には見切り発車で告知開始しました(笑)
そんな風にして始まった彩ふ読書会。
ゼロから作り始めるとなると、自分がこれまでに経験してきたことを全て動員する必要がありました。
他の読書会さんを参考にしている部分は多々あります。初参加の時に感じたこと、実際にしてもらって嬉しかった事なんかは、特に参考にさせて頂いてます。
友達と遊びに行く時に段取りとか色々やっていたことも、立ち上げる時に活きた経験だったなと思います。お店の予約とか、当日の段取りとか組んでよく遊びに行ってた経験があったからこそ、読書会の会場探しやお問い合わせも苦ではありませんでした。
オフ会参加したことないのに自分でオフ会を開いた経験があったこともやはり役に立ちました。オフ会って行ってみたいけど怖い、けど自分でやってみたい!ということで上にも書いたゲームサークルメンバーで集まりました。当日何したら良いの?何話したら良いの?って感じでグダグダではありましたが、貴重な経験でした。
ホームページ作成は以前HTMLで作ったことがあったのですが、その経験があったからこそ、彩ふ読書会を作る際にはちゃんとしたホームページを作ろう、と思いました。
それらの段取り等のことだけではなく、これまで人と接してきた中で自分自身が感じたこと、嫌だなーと感じたことだったり、嬉しいなーと感じたことだったり、その感じたこと全てが活きてきているような気がします。
そして、一番大切な読書会の目的。これはやりながら段々固まってきたかなという感じでもありましたが、上記のような思いもあり、「本が好きなら誰でもOK」な会にしたいなとは初めから思っていました。好きなジャンルで分けることなく、年齢や性別でも分けることなく、障がいの有無でも分けることなく、本が好きなら誰でも大歓迎、という意味です。
車椅子の方々でも入室可能な所で探して見つかったのがオックスフォードクラブでした。地下一階ですがエレベーターで降りる事が出来、入口に段差もないため車椅子でも問題なく入る事が出来ます。(残念ながら現在オックスフォードクラブは使っておらず、会場探しには常に苦労続きです)
とにもかくにも、彩ふ読書会はこうした経緯にて誕生しました!
コロナ前の爆走!激走!大滑走!!
2017年11月12日に読書会を初開催してからは毎月読書会を開催しました。大阪で月一回だったのが、2018年2月には東京でも開催するようになり、2018年7月には名古屋でも開催するようになりました。一年間で200名以上の方とお会いしました(のーさん調べ)大阪で135名、東京で67名、名古屋で20名です。11/11までで大体222名でした。
読書会を開催しなければお会いしなかった方々です。
もしかすると道のどこかですれ違うことはあったかもしれませんが、その場合は赤の他人ですから、これほどまでに密な時間を共有する事は出来なかったでしょう。そしてこれだけ沢山の方々とお会いしているのに、ほぼ全ての方のお顔と名前が一致してました。
あの人とはこんな事があったな、こんな本を紹介されていたな、課題本読書会でこんな事を言ってたな、なんて感じで、色んな場面や発言と結びつき、私の記憶に強烈に刻まれていってました。読書会の空間が私に与えてくれたものは計り知れません。
サポーター(読書会のお手伝いをしてくださっている方)の方々も沢山希望してくださり、安定して読書会を開催できるようになりました。
2018年11月には一年が経つということで、一周年を記念して通常よりも規模の大きい特別イベントを開催しました。4ヶ月近く準備をしての開催でした。その時の様子はレポートにまとめていますので、ここでは省略しますね。良かったらチェックしてみてください(^^)
勢いに乗って調子に乗っちゃって、一周年記念イベント以降は三つの重大発表を行いました。
京都でも開催すること、実験的経験会という三つ目の形式の会を開くこと、彩読LINEコミュニティの作成です。
勢いは増しに増しました。なんせ彩読LINEコミュニティが始まってからは参加者の方自らが企画してくださったスピンオフ企画も新たに加わったからです。読書会&スピンオフ企画の開催で、ほぼ毎週顔を合わせる方々もいらっしゃいました。
開催した会は読書会だけで116回、参加して頂いた方は延べ559名となりました(2年間の合計)
そして2019年12月、京都では京都会場が始まってからの一周年記念をサポーターの方々が企画してくださり、東京でも「ほぼ一周年半記念イベント」を行いました。その時の様子はレポートにまとめていますので、ここではまたもや省略しますね。
上のリンク先でも書いてますが、神戸、横浜で新たに読書会を開催すること、またなかなか定期的には開催出来ていなかった名古屋でも開催することをお知らせしました。
勢いに乗りまくりではありましたが、私のプライベートな方でも大きな変化があり、このスケジュールいけるの!?とはなっていました。なりつつもまあいけるっしょ!といつもの如く見切り発車をしておりました。
2020年2月に新型コロナウイルスの影響で読書会を休止しましたが、それまでに読書会だけで146回、参加して頂いた方は1028名となっていました。2019年10月27日までの参加人数は延べ559名だったのに、2020年2月16日までで延べ1028名です。2019年11月~2020年4月のほぼ半年で2017~2019年の2年間の規模と同程度となっていました。これだけでも勢いが増しに増していたことはお分かりいただけるかと思います。ただ、これが立ち上げた当初と同じ環境であれば全然問題はなかったのですが、私自身のプライベートの大きな変化……つまりマイベイビーちゃんの誕生によって、育児と読書会運営が果たして両立できるものなのか、そもそも通常の仕事もあるのに出来るのか、その時点では全く分かりませんでした。大阪での一周年イベントまでの一年間が順調すぎたため、二年目に突入してからは私自身が読書会を楽しんでいるのだろうか……?と自問自答していたことを覚えています。読書会の開催数も増えたし、彩読LINEコミュニティを活用すれば参加者の方同士で企画をすることも出来る。居場所作りとしては理想的ではありました。今思えば、皆さんにご心配をおかけしていた時期と私自身の不安がつのっている時期が見事に重なっているのがよく分かります。ご心配おかけしました!(今はもう見通しも立ってきたので大丈夫です)
そうして二年目は迷いつつも激走し、三年目に突入してから数ヶ月。
新型コロナウイルスの影響により、2020年2月16日の京都読書会を最後に休止することにしました。
コロナ禍のなか
2020年2月17日の時点では、2月分だけ中止しましょっか!くらいのノリでした。当時のLINEやホームページ等の記録を見てみると、この頃はまだ新型コロナウイルスの影響がここまで続くとは思っていなかったことがよく分かります。ところが、募集開始時期を考えると3月も厳しいな……3月も中止するか、となり、さらに続く現状に4月以降は一旦無期限休止にするか、となりました。
本来であれば三周年記念イベントも行う予定でしたが、計画すらも立てることなく諦めざるを得ませんでした。コロナ禍となる前から巷ではオンライン読書会も少しずつ増えてきていました。他の読書会さんの動向を見ていると、完全に休止しているところもあればオンライン読書会に切り替えているところもありました。彩ふ読書会もオンラインでやる?でもそれって合っているのだろうか?私自身がどうなのか?ということをうにゃうにゃ考えているうちに、考えるだけで月日が経ってしまっていました。
家族でもない、職場の人でもない人たちが出会うということ。まだ見ぬ誰かと「本が好き」ということで知り合っていくこと。彩ふ読書会を続けてきた中で、それはいつしか当たり前のようになっていました。けれども、新型コロナウイルスの影響により、それは当たり前ではなくなりました。当たり前ではなかったのだと気付かされました。
なかなか開催出来ていなかった名古屋で読書会を再開することが出来たり、新たに横浜や神戸でも読書会を開催してみたり、一気に6拠点での読書会開催へと走り始めていました。それが一気に休止という形になりました。展開としては残念だったかもしれません。ですが、正直なところをいえば、少しホッとした自分もいました。読書会は私にとっても拠り所であり居場所ではありますが、読書会以外にも仕事がありますし、私生活もあります。あの勢いのまま走っていても、どこかでドンッと何か大きなものにぶつかっていたような気がします。私にとって三年目の後半は、ある意味頭を冷やす期間にもなったように思います。
様々な計画が立てれない中、新たに実施できたものもあります。
一回きりですが、2020年5月にはLINEオープンチャットを利用しての「推し〇披露会」を行いました。主催含め79名の方にご参加頂き、89個の様々な推しを紹介して頂きました。12時間に及ぶイベントで開催レポートも分割せざるをえないほどの大ボリュームな会となりました。
メルマガ、彩読通信も始めました。
読書会に参加してくださっていた方々と同人誌を作り、文学フリマ東京への出店も行いました。
2021年6月27日からは姉妹コミュニティとして「彩なす家オンライン読書会」が生まれました。オンライン読書会での開催も含めると、ここまでで開催した読書会は156回、参加して頂いた方は延べ1095名となりました。残念ながら彩なす家オンライン読書会は終了してしまいましたが、非常に貴重な経験をさせていただきました。
そして、彩ふ読書会の参加をきっかけに出会われたお二人がご結婚されるという嬉しい出来事もありました。しかも2組も!結婚式や二次会に出席させていただきました。
一応振り返りもしてますので、また良かったらチェックしてみてください(^^)
読書会は休止したものの全く何もやっていなかったわけではなく、こんな感じのことをやっていました。
Withコロナの時代に
そして2022年5月。
オフラインの読書会再開に向けて本格的に動きだしました。
2022年6月25日、約2年4ヶ月ぶりに新大阪で読書会を開催しました。皆さんと久しぶりの再会。色んなお声をいただきました。「楽しかった」「ぜひ神戸でもやってほしい!」「京都も再開になって嬉しい」「課題本はやらないんですか?」「(オンライン読書会ではお話したけど)対面では初めましてですね」「また浴衣会もやりたいですね」などなど。やはり直接お声をいただけるのは格別で、非常にありがたく、やってみて良かったな~としみじみと思いました。
7、8月には新型コロナウイルスが感染拡大となったため再び中止となりましたが、9月には再び開催。東京でも10月1日に約2年8ヶ月ぶりに開催することが出来ました。
コロナ前は日曜開催だったのですが現在は土曜開催に変更しており、お仕事の都合でお会いできない方もいらっしゃいます。コロナ禍に読書量が減ってしまってなかなか読書量を戻せない方もいらしゃいます。読書会を再開は出来たものの、なかなかまだ思うようにいかないことが多いのが正直なところです。
ですが、とにもかくにも再開出来ました。
またお会いする機会が出来ました。
ようやく時が動き出した感じです。
休止期間中、常に読書会のことは考えていました。改善策を色々と考えてきました。それをようやく実現していくことが出来ます。私生活の方も見通しは立ってきて、読書量もだいぶ戻ってきました。ちょっとずつ無理のない範囲で定期開催していけたらなと思っています。
以上です!!
これにて私の自己紹介を終わります。
最後までお読みいただ……
って長いですね!
長すぎるわ!!
ここまで読んた貴方、もうのーさんマニアだよ……むしろ私自身忘れてることも多いので私よりのーさんだよ……貴方がのーさんだよ……!!
文字数、何と18190文字です。
前半はほとんど以前書いた記事のコピペでしたので新たに書いた文章は少ないのですが、ここさえ読めば私のことや彩ふ読書会のこれまでを知ることが出来たのではないかなと思います。まあ、読まなくても全く問題ございません。むしろ読んでいる方の方が少数派ですので、読まなくて大丈夫です(ここまで読ませておきながらここで言うんかいっていう)
さて、そんなこんなで読書会も再開しました。
ここから先のことは一年毎に「彩ふ読書会誕生から〇年経ちました」シリーズで今後も書いていきますので、またお時間あるときにチェックしていただけますと幸いです。近日では「彩ふ読書会誕生から五年経ちました」を投稿する予定です。
以前から参加してくださっていた方、休止期間中に彩ふ読書会のことを知ってくださって参加を心待ちにしてくださっていた方、再開してから彩ふ読書会のことを知ってくださった方、皆様とお会いできる日を楽しみにしております。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
これからも宜しくお願いいたします!!
※2024年7月22日 リンク先追記
▶彩ふ読書会誕生から五年経ちました