宝塚のBADDYと伊藤計劃のハーモニー

5 min

実は仕事の都合で三月上旬まで激動の日々を送ることが確定しております。

この期間中に新たに書ける記事は読書会開催レポートくらいだろうな、と思って年末年始に推し本紹介記事はいくつか予約投稿分をストックしておきました。

おかげで自転車操業にはならないんですが、やはり案の定レポート以外の記事を書くのは無理そうだ……って感じなのですが!

ほとばしる熱いパトスが私を執筆に向かわせました。

他にやることは沢山ある!1/20のレポートもまだですしね・・・・・・!!

しかし!

これは書かざるをえない!

 

 

 

 

ヅカの話です←

 

 

 

最早ヅカ話だけで第三弾ですね。シリーズものになってきました。まだまだ続きそうですが!!

 

 

▼第一弾
タクマとハナコ ある日、夫がヅカヲタに!?(一線を越える前)

 

▼第二弾
【大阪】小説風主観レポート“ヅカツドウ〜宝塚DVD鑑賞会”

 

そして今回が第三弾です。

 

1月13日、あの伝説の宝塚DVD観賞会を終えてからというもの、ふと気づけば頭の中を支配する名曲カオス・パラダイス。

これは宝塚のショー『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-』(作・演出/上田 久美子)に出てくる曲なんですが、

「悪い~ことが~したい~良い~子で~いたい~」

というフレーズがありまして、それがずーっと頭から離れません。

仕事中、利用者さんに微笑みながらも頭の中では「悪い~ことが~したい~」が流れてる。あかん、危険なやつや・・・・・・。

真面目に取り組んでいても、ふと悪いことがしたくなる。そんな衝動を何とかおさめる日々。

一回観ただけでは分からない所が多すぎて、もう一度観たい!でも観れッないッ!!という悶々とした日々を送っておりました。

そろそろ禁断症状で全身が震えだすんじゃないかと自分自身が怖くなってきた1月20日(つまりまだ一週間しか経っていない←)

京都の読書会終了後、闇の売買を行うかの如くヅカ部長より差し出されたブツ。

これ!これだよ!これを待っていたんだヨ!!

しかし、受け取ってからすぐにはまだ観れない。そう、私にはやらなければならない課題があったのであります。月末までに終わらせなければならない課題。本当は一ヶ月かけてゆっくりやるはずの課題。一ヶ月間放置していた課題。もうやらなくて良いんじゃないかとさえ思い始めた課題。

よし、これが終わったらDVDを観よう。

それを励みに、一ヶ月間近く放置していた課題についに取り組みました。

一日で終わりました←

夏休み最終日以上のパワーが出たヨ!

というわけで一ヶ月間ずっと気になりつつ放置していた懸念事項を無事解決させ、22日の朝には観ようと思ったのですが・・・・・・さすがに体力を消耗していたらしく、遅刻気味の起床でした。さらに一日悶々とする日々を送り・・・・・・23日の朝!無事に早起きし、鑑賞タイムを確保する事が出来ました!色々と観たいものはあるけれど・・・・・・まずはBADDYだ!!

無事鑑賞を終え、すぐさまヅカ部のグループLINEに長い感想文を流し込むという所業。お顔とお名前が一致した方も増えてきて嬉しかったのであります。

その感想文を書いていたらまたもや遅刻気味の時間帯に家を出ることになりました。家から駅まで走ることになってしまったことについて軽く部長に責任転嫁しようとしたのは、おそらくBADDYを観たからでしょう。ほら、「悪い~ことが~したい~」が頭の中をリピートしてますからね。悪いことがしたくなっちゃったのであります!夜になって反省しました申し訳ございません!!

そして視聴したことによって更に「悪い~ことが~したい~」が頭の中を巡り続ける中仕事を終え、帰宅し、現在に至ります。

と、ここまでの経緯を書いただけで長文になってしまってますね。そろそろ本題に移ります。

 

 

 

 

 

 

 

※ネタバレしてます。申し訳ありません。気になる方はバックバック。

 

 

 

 

 

 

 

さて、このBADDYなんですが、あの伝説の宝塚DVD鑑賞会で観た中でも一番惹かれた作品でした。

最後に観た作品だったので、それまでに疲弊して意識朦朧としていた最中にガツンと頭を殴られたような衝撃を味わったからってのもあるでしょう。けれど、何故自分はBADDYを面白いと感じたのか?それを改めて考えてみました。

今回感じたのは、素敵な歌や踊りもさることながら、あの物語上の世界観に魅了されたのだろうなということです。

BADDYの舞台は地球なんですが、103年前にひとつの国家に統一され、全大陸が平和化されています。103年後の現代、さまざまな面で社会が無菌化されており、103年もの間一度も犯罪は起きていません。悪いことはダメ、ということが過剰なまでに意識された極端な世界。いわゆるグレーゾーンがない感じ。なんとも息苦しい印象を受けました。

そんな閉塞感満載ともいえる地球にやってくるバッディ。

彼は「悪いことは何もかもしてはいけない世界」において、そんな価値観に風穴を開けていきます。女捜査官・グッディはじめ、地球の皆は悪党であるバッディを追いかけますが、次第に彼に感化される者も現れ・・・・・・という物語です。

平和化された世界において最早当たり前であった価値観を揺るがされ、信念を覆され、「怒り」という感情が沸き起こるグッディ。しかしそれは同時に「生きてる」と実感する瞬間でした。私が最も面白いと感じた部分は、グッディが生きてると実感し解放されるシーンだったのだと二回目の視聴にて気づきました。

二回目の視聴時点ではあらすじをちゃんと知らなかったので、「王様がタバコを吸おうとして止められる」というシーンを観てふと浮かんだ作品がありました。おや?王様が煙草を吸おうとする=その行為があるということは、つまり、それが容認されていた時代があったはず。その時の時代から現代に至るまでにどんなことがあったんだろう?(設定については後で知りました)

 

 

その疑問から浮かんだ作品が、タイトルにも入れた伊藤計劃さんの「ハーモニー」でした。

 

 

ハーモニーの内容を軽く載せておきますね。

 

 

▼内容(「BOOK」データベースより)
21世紀後半、「大災禍」と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰にただひとり死んだはずの少女の影を見る―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。第30回日本SF大賞受賞、「ベストSF2009」第1位、第40回星雲賞日本長編部門受賞作。

 

 

11月に東京の課題本読書会でハーモニーを課題本にしたことも影響してるのかもしれませんが、あの世界観とBADDYの世界観はどこか似ています。似ているから良い悪いとかそういうことではなく、どちらの世界も「違和感に気づいてしまった時点で息苦しくなるだろうな」と感じた次第です。逆にその世界に対して、世界のゆがみに対して、何の違和感も覚えないのであれば、ただ平然と日々を生きていけるのだと思います。それはそれである意味幸せなんじゃないかな~と思います。けれど、気づいてしまったら、もう夜も眠れなくなるレベルでそのことに捉われてしまう。それが個人レベルですぐにはどうにもならないことだったら、辛い日々が待っているんじゃないかなーと。

じゃあ、世界のゆがみとか違和感って何?って所ではありますが、もはや私1人じゃ解決できない話題に入りましたね、ええ(軽く丸投げ感)

まあ、世界が~とか大きな枠組みにしちゃうと「何も言えねえ・・・」となってしまいますので、もう少しハードルを低くして・・・・・・何か書こうと思ったんですが思いつきませんでした←

ざっくりというと、多数派の同調圧力とでもいうんでしょうか。これが当たり前!決まったことだから!ルールだから!タブーだから!って事が世の中には結構あります。その当たり前、決まったこと、ルール、タブーを「本当にそうか?」と疑い出すとしますよね。それを心の中で思っているだけだったら良いんですが、口にしてしまうと多数派センサーにひっかかり「え?何言ってるのこの人?」となる。もしかすると疑った方が合っているかもしれない。けれど、その意見が少数派だと多数派の意見に飲み込まれてしまう。そもそも少数派だと意見自体言えなかったり。ってな事が色んなところであるんじゃないでしょうか。何だかよく分からないけれども皆が言ってるからそれが当たり前。でも、本当にそうだろうか?疑い出すと、息苦しくなる。あ、最近のワタクシです←

ここらへんの話を始めると今度はコンビニ人間辺りも連想して出てきちゃいますね。

皆それぞれバックグラウンドも違えば視点も違うのだから、意見は違って当たり前。・・・・・・おやおや?そもそもその「意見は違って当たり前」という考え方すらも、本当にそうなのだろうか?自分自身もそれが当たり前とか言っちゃってるじゃない。と疑い出すと、ぐにゃぐにゃっとなって思考をやめたくなる。それでも思考の先を追求しようとすると、今度は「自分って何?」「生きる意味って何?」なんて事も考え出し・・・・・・あかん!やめます(笑)

 

とにかく、BADDYが好きな方はハーモニーも好きだろうし、ハーモニーが好きな方はBADDYも好きなんじゃないかなーと思います。オススメです♪

 

 

あと、宝塚DVD鑑賞会を経て思ったのは、これらの作品を生で観る機会がもうないということ。タイムスリップする能力でもない限り、同じ演者で、全く同じものを生で観る機会はもうありません。そう考えると切なくなってきました。退団してる方もいるとか・・・・・・。そう考えると、生ものって観れるうちに観ておかねばって気分になります。おや?目の前に沼が・・・・・・?

 

ところで、読書会も同じだなーと感じるところもあります。彩ふ読書会では午前推し本披露会、午後課題本読書会、京都では夕方実験的経験会を毎月開催してますが、同じ枠組みで実施していても、全く同じ内容になることはありません。メンバーが毎回変わるってのもありますし、ご自身の参加回数によっても感じることは変わってくるのではないかと思います。そう考えると読書会自体が沼・・・・・・ですね!

 

沼だらけの世界へ、是非お越し下さい!(誘う感)