※ネタバレあり 『虐殺器官』を読んで(課題本読書会の前と後)

12 min

虐殺器官
伊藤計劃
ハヤカワ文庫JA

ずーーーーーっと気になりつつ読めていなかった作品。『ハーモニー』は課題本を機に読んでいましたが、何故でしょう、虐殺器官はまだ読んでなかったんですよね。読書会でも何回かご紹介頂いていたので面白いのは分かっていたのですが、ご紹介頂いてあらすじを何となく知っていたので、読んだ気分になっていたのだと思います(笑)毎回反省するのですが、やはり自分自身で!読むことをおすすめします。もっと早くに読んでいれば良かった!

ようやく読むに至ったのはコロナ禍となった影響が大きいかもしれません。コロナ禍となる前はダダダーッと新しい本(読書会でまだ紹介されてない本)を追い求めている自分がいました。コロナ禍で読書会が出来なくなり、同時に読書熱もシュウウウンと急速に冷却されていく中、ふとこれまで紹介された作品で気になっていたものに手をつけたいと思い立ったのでありました。

通勤電車の中でちょこちょこ読みつつ、途中映画を観て、再び原作を読みました。どちらにも触れてみると、映画と原作の違いもあったりして面白いですね。通勤電車でのちょこちょこ読みがあったのでトータルでは2、3ヶ月かかったのですが、後半部分は一気読みしました。久しぶりに時間を忘れて読書していたら「え、夜中の2時……!?」ってなりました。

読書から遠ざかっていた時期というのは以前にもありました。社会人になってからはほとんど読めていませんでした。そんな私に読書熱を与えてくれたのはミステリーでした。年末年始にインフルエンザでとてつもない退屈さに襲われ、テレビで紹介されていた『イニシエーション・ラブ』を読んでみたのです。そこからミステリーにはまり、『新世界より』やら『ソロモンの偽証』などに挑んだり、東野圭吾さんや湊かなえさん、池井戸潤さんの作品を読んだり。あの時の感覚を思い出しました。

急速冷却された私の読書器官に再び熱を加えてくれたのは『虐殺器官』でした。

読み終わってからお試し版推し本披露会でも紹介したのですが、なんせどこまでネタバレして良いのやら……という感じだったので、「ならこりゃ課題本にするっきゃないな!」と思い、このたび課題本にさせて頂きました。そんなこんなの経緯がありました。あ、課題本読書会とは、事前に読了しておいた課題本について語り合う形式の読書会です。課題本を読書してる最中に感じたこと、読後に感じたこと等を自由に発言しあいます。

さて、今回タイトルにもしたように、課題本読書会前と後に私自身が感じたことを書いていきたいと思います。読書会前……つまり私一人で読んで感じたことと、読書会後……課題本読書会が終わってから感じたことを書いてみます。加えて読書会中に出たご意見も貼っておきます。以前『消滅世界』でやってみたんですが、これをやると頭の整理にもなって当日さらに楽しい!ってことが分かったので、出来るときにはやってみようかなと。

ちなみに『消滅世界』Verはこちらです。

▶※ネタバレあり 『消滅世界』を読んで(課題本読書会前)

▶※ネタバレあり 『消滅世界』を読んで(課題本読書会後)

課題本読書会は実際に参加してみないと面白さって伝わらないかなーとも思うのですが、ひとまずこの記事を「おお、こんな風に感じるのか!」みたいな感じで、前後編お読み頂けましたら幸いです。

では、前置きがだいぶ長くなってしまいましたが、『虐殺器官』に触れていきましょう。

えー、こほん。あ!ネタバレしますので、『虐殺器官』をこれから読む予定の方はバックバック!

――――――――――――ここからネタバレ―――――――――――――――――――――――

1.読書会前

冷静に考えてみると『虐殺器官』ってタイトルからしてすごいですよね。さらっと流していましたが、改めて考えてみると、『虐殺』と『器官』って、なかなか結びつきそうもない単語をくっつけてタイトルにするって、すげええええって思いました。そして、読み進めていくと納得。このタイトルはこのタイトルでしかありえないなと、そんな風に思いました。装丁もかっこいいです。何というか、私の何かをくすぐるものがたくさん詰まってました。

私が一番気になったのは作中出てくる「虐殺文法」でした。そんな文法あるんかいな?なんて、主人公クラヴィスと同じように「ありえない」なんて思いながら読み進めていくわけですが、次第に現実にも本当にありそう……なんて思えてきます。というのも、実際に「虐殺文法」ではないにしろ、他者からの言葉に影響を受けたり振り回されることって結構あるなーなんて思うからです。あとテンポの早い音楽を聞いたら気分が上がったりとか、落ち着いた音楽を聞いたらリラックス出来たりとか。何かしらのスイッチ……それが器官としてるんでしょうけれども、そういうのがもともと備わっているような気がするんですよね。赤ちゃんも胎内音聞いたら眠ったりしますしおすし。

先日課題本にした『消滅世界』でも、主人公の雨音は幼いころ母親に母親の価値観を植え付けられます。それが言語であれ、非言語的なものであれ、雨音は母親という存在から自分自身のベースを作っていかざるをえないわけです。その価値観を肯定するのか、否定するのか、雨音は既に囚われてしまっている。ん?何が言いたかったんだっけ?あ、ちょっと自分でもよく分からなくなってきました(たとえを出そうとして転ぶ奴ー←)

とにかく、虐殺文法そのものの設定に対して妙にリアリティを感じました。戦闘シーンも多く、残虐なシーンも多いんですが、妙にリアルさを感じます。SF作品自体をあまり読んできていないので、ジャンルに対してひとくくりに言えるような知識は持ち合わせていないのですが、何というか、今この現実世界には存在しない設定だったりするけども、実際にそれがあったらこうなるだろうなみたいな世界が描かれていたりするのって、面白いなーと感じました。

あとは、第一部冒頭の11ページからの描写。村の広場の様子や振り返ったら死者が手を振って微笑んでいるとか、そういった光景がイメージしやすく、目に浮かびやすかったです。

52ページでアレックスの放つ言葉。「地獄はここにあります」にはゾッとしました。最初はさささっと読んでいましたが、あとからじわじわと来る感じ。読み終わった後も印象に残ってて、ふとした日常の隙間に顔を出してくる感じ。ひいいいい。

ゾッとするといえば、そのあとの国防大臣の描写もゾッとしました。60ページあたりですね。わたしはなぜ殺してきた。なぜだ。わからない。というあたり。ここらへんは先にアニメを観ていたからか、「月光」の演奏とともに目に浮かびます。月光がめちゃくちゃマッチしてる。ぴったりすぎる。

原作では国防大臣はクラヴィスが手をかけていますが、アニメ版ではおかしくなったアレックスが国防大臣を射殺。その後、クラヴィスがアレックスに手をかけるという風になっています。原作のアレックスは第二部冒頭で自ら死を選んだという描写があります。ここの違いには「ん?」と思うところもあったので、課題本読書会でもし原作とアニメ両方観ている方がいらっしゃれば話してみたいところですネ(って書いておいて当日忘れるパターン多し)そういえば、アニメ版では母の描写そのものもなかったような。クラヴィスの内面は省かれているのかな?あ、映像は映像の良さがあるので、どちらが良いとかそういう話じゃないんですが、どちらにも触れてみたらちょっと気になったもので、それだけ確認したい感じです。

アレックスは何かありそうな気がするんですけどねえ。最後まで明らかにはなってなかったと思いますけれど、考察サイトを読んだらスパイだったのではないか疑惑もあったり。結構重要な位置にいるような気がします。

あと印象的だったのは73ページの文章。虐殺が増えてきて、「主要なもの以外はネットの海に埋もれてしまってさして注目もされないウェブページとしてアーカイブされているにすぎない」という部分には、ああ今まさにそういう感じなのでは、なんてSNSをやってると思ったりしました。

75〜80ページにあるクラヴィスとウィリアムズとの会話は結構好きでした!でもハラペーニョの油まみれの指で携帯をさわるのはつい目を背けたくなっちゃいますね(笑)ほら、人は見たいものしか見ないから……。

120ページあたりの、ルツィアとの会話も好きです。難しくて理解はできてないんですが、めっちゃ文学的な感じがイイ!こういうやりとりってしてみたいですけども、お互いに教養とか知識とかがなければ成立しないんじゃないかなあ。こんなやりとりが出来る相手がいたら惚れてしまいますね。惚れてまうやろおおお!同じくルーシャスとのやりとりも結構好きでした。こんなやりと……惚れてまうやろおおお!←

サピア=ウォーフて知らんかったからつい調べちゃいましたね。サピア=ウォーフの仮説って出てきました。「どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだ」とする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に関与することを提唱する仮説だそう。ベンジャミン・ウォーフが唱えた理論であり、個人が使用できる言語によってその個人の思考が影響を受けることを体系化した理論である、と。言語相対主義ともいうんだとか。うん、調べてみたけど分かったようでよく分かりませんでした。

ちょっと飛びますが204ページのルツィアとのやりとりも印象的でした。クラヴィスが母のことについて語るシーンです。正しいのか、正しくないのか、罪なのかそうじゃないのか。

213ページでは虐殺の文法が出てきますね。このやりとりを聞いていると、やはり実際にそういう器官はありそうだなんて思っちゃいますね。

230ページでは「自分が見たいものだけ見る。自分が信じたいことだけ信じる」というルーシャスのセリフが出てきますね。これについてはすごく分かる……ってなりました。実際、自分が見たいものだけ見てしまってる。そういえば、この作品が一人称で書かれているのも、そういった意味を含めて一人称にしてたりするんでしょうか。

284ページのシーンを見てて、オルタナつけてみたいなーなんて思いました!

309ページの「つらいが仕方ない。仕事だからな」からのくだりは、これもそうだそうだ!なんて思っちゃいました。

339ページからの最後の作戦で気になったのですが、そういえば感情調整ってしてましたっけ?このあとクラヴィスはルツィアを殺されて感情を揺さぶられているけれども、調整されてしまっていたら何も感じないんだっけ……?

394ページに書かれている母と目があったエピソード。あの視線はなんだったっけ……?

412ページの解説によると、2020年前後が舞台?解説で出てくる作品全然読めてねえななんて思いましたまる。会社勤めのかたわら10日で第一稿は一気にかきあげて応募されていると知り、すげえと思いました。

……さて、とりあえずページ順で追ってメモしてみました。あとざざざっとメモしてた所によると……。

・イントルードポッドかっこいい。相手国からしたらたまったもんじゃねえな(ってメモしてる笑)

・ジョン・ポールが正気を保っていながら思想的なところで虐殺をおこしているという恐ろしさ。ってメモしてるんですが、ジョンは本当に正気だったのか?虐殺の文法を使っているうちに自分自身も影響を受けていたとか?となれば、深層の文法を知ってしまった時点でクラヴィスも影響を受けていて、第二のジョン・ポールになってしまったのでは?

・エピローグで裏読み設定があると考察サイトで書いていたけれども、どう読めば良いか分からん……。

・本当の自分、わたしとはなにか?どこからがわたしなのか、みたいなところが著者のメッセージ?254ページでもこの殺意は自分自身の殺意だろうかとかいてるし……。自分の意思は本当に自分の意思なのか?

・クラヴィスが最後虐殺文法を使うに至るまでも、誰かに仕組まれていた線はない?というのも、例えばルツィアとの接触をもしクラヴィスでなくウィリアムがしていたら?ウィリアムが仮にジョン・ポールと接触しても虐殺文法を信じるわけではないから、このような事態にはならなかったかも。278ページでクラヴィスがウィリアムに話してもピンときてない(又聞きだから?)

……はい!

というところが、読書会前に私自身が気になってたところでした。的外れなところもあると思いますが、ひとまずメモメモ。詳しい方がいらっしゃれば是非教えて頂きたいなと思っている次第です。では、ここから先は読書会後に感じたこと等を書いていきます。

2.読書会の意見

課題本読書会で出た意見はこちら!(彩なす家オンライン読書会のレポートと同じものを貼ってます)

◆作品の感想等(一巡目)
・タイトルからしてすごい。「虐殺」と「器官」をつなげる発想は自分の中にはないもの。このタイトルはこのタイトルでしかありえないなと、そんな風に思いました。
・装丁もかっこいい。
・私の心をくすぐるものがたくさん詰まってました。
・虐殺文法について。ありえないと思いつつも、読み進めていくうちにだんだんとありそうって思えてくる。実際、誰かの発言で影響を受けることもあるし、音楽聞いてテンションあがったりもする。深層に何かそういうものが備わっているのではないかという気になる。そういった設定や世界観にリアリティを感じた。

・全体的に難しく調べ調べ進めていった。ミーム、集団自殺とか。その分奥が深いなと思った。映画が好きだが、映画の話が挟み込まれているのが、読みやすくしてくれた。結構8作品でている。2001年宇宙の旅とか。身近に感じながら読み進めて。後半加速。気になったのは主人公が繊細だなと。ミッションインポッシブルが出てくるイメージが、やった仕事に対して考えたり母について考えてしまったり。
・虐殺器官の文法って本当にあるのかなと思った。それじゃないがルワンダの虐殺はメディアによるヘイトスピーチがきっかけになってる。似ているなと。反対しているところにラジオで「相手はゴキブリだ」とか伝えている。煽っていた。

・10年前読んだ。2001に9.11。イラク戦争2003年。シンクロするような感じがあった。その後のテロに対する監視とセキュリティの厳しくなっていくという感じが似ているなと感じていた。この中にもあった「自由を得るためにある程度の自由を奪われる」絶えず監視される。絶えずチェックされるとか、目の前にオルタナが出てきてデータにもとづいて人を判断したりとか自分も登録されていたりとかする。監視とか管理とかされた上での自由を片方では持っている。もう片方には紛争国がある(奪われる国)。イラク戦争なんかでも究極的には石油の利権が絡まっていて紛争国で戦争をやることによって戦争によって潤うし、利権が絡まっていると潤う。そこがリアル。現在の世界の状況と重なる部分があると感じた。徹底的に進めていくとハーモニーの世界になっていくのかな。

・単純に面白かった。なんで単純に良かったか。人間の捉え方が独特。モヤモヤしたものをまとめてくれた。人間は物質であるとか、遺伝子とか。言葉の力、自由意志があって、価値がある。魅力的だなと感じた。読書スランプになるたびに読んでる。話の内容が本当にあると錯覚しちゃう。同じような書き方を小松左京さんがしている。科学的根拠を持っててどこかで嘘をつく。読んでるうちはひきこまれて読んでしまう。若者向けの文体。小松左京さんと違って敷居が低いから引き込んでくれる。

・作品に出会ったのは7、8年前。初読の感想……どれを言おうか迷う。あんまり社会情勢に興味もなくて思春期真っただ中のトァンみたいな、自分の楽しむことで精いっぱいで生きてきたが、この本にあって、短編集から伊藤計劃に入って、虐殺器官とハーモニーを読んだ。
・ハーモニーにつながることで「私」というものの、濃度。虐殺器官では「薄まったり濃くなったり」とあるが、「私」と書かれているところがしびれた。
・母の死から始まり、元准将を殺したときの自己の動機の喪失。「私」というものがどこにあるのか。カウンセリングの話とか、ルツィアとの話とか。私というものに対してどう捉えればいいのか。色んな方面から考えられるが、それに対する一つの回答のようなものがこの本にあるなと思った。一石に投じた作品。

・初読は4年半前。映画が公開されていた。やばい、そろそろ終わると思って読み始めて、2日で読み切ってそのまま映画館に走った。映画は色んなところが変わっててショックを受けた(あとあと好きになっていった)
・映画を観ることが多くなり、本を読むことは減っていった。久しぶりに読んで、最初に読んだときは最初のシーンの語り口にやられてしまって衝撃が強すぎた。すごい繊細でセンチメンタルな話やと思っていたが。改めて読み直すと、思ってるより「乾いてる」なと。主人公に共感しながら読んでいた。考えさせられた。「読んでて罰と償いって違うくない?」主人公は償おうとしてない。昔は切実さが好きだった。今改めて読むと、罰されることで快を得ようとしているのでは。

・虐殺器官もアクションシーンも多いが、話してる量が多い。4回くらい読んでる。当たり前に感じていることに疑問をていしていくような、人間にとって「生きていることと死んでることは明確な境界はない」
・エンタメ的な切り口で見せつつ、文学で切り込んでいるのが良い。
・日本のSFはエンタメによってるのが多いが、SFの新しい可能性を切り開いた人なのかな。伊藤計劃以前、以後と呼ばれるくらいに影響があった。

・254ページくらい(カウンセリングの部分)

◆ここからフリートーク
・一巡目に出てきた「私」や「罰と償い」や「生きている死んでいるに明確な境界はない」という部分について。殺意に対する罪の意識を事前に押さえ込んで感じないように調整してしまうということがある。逆に痛みや罪の意識とかそういうのを感じ取れないようにしていく。責任を取る自分というのが曖昧になっていく。機械のようにやることはやる。命じられたことはやる。そこに対して鈍感になっていく。それがテクノロジーや医学の進歩によって出来るようになってしまうというのがある面でいうと怖い。ある面でいうと楽になっていく。
・クラヴィスは母の場面では自分で選択しなければならない。その立場に立ったときに逡巡する。自分が本当にこの人を生きている状態から止めてしまう責任意識を問われてくる。そうなったときに人間らしさを問われてくるのではないか。罰することと償いが違う=その辺のことに関わってくるのではないか。
・「自分」を感じること=責任を負うようなことがない。
・まさにクラヴィスが感じている悩み。母の時にそういう選択を迫られた。自分は母親を殺してしまったんじゃないかという罪悪感にとらわれはじめた。

・この殺意は本当に自分のものなのか、という悩み。母親への止める選択の悩み。戦場にいるときは戦闘適応感情調整をして良心というものをマスキングする。「私」であるのかという問いにつながっていく。
・ハーモニーでは「私」を失う物語。選択をなくす。「選択があるからこそ、人間は人間である」

・伊藤計劃さんの作品では「私」「人間らしく」を必ずしも肯定的にはとらえていない。
所詮人間も肉に過ぎない。がベースにありつつも私というものを考えてしまう人間の葛藤を描いている。

・「乾いた」はそういうこと?伊藤計劃さんの特色だったのかな。

・身体性がない。歩くことが仕事と言い切るくらい体がメインの仕事。生々しいことに触れている人なのに描写も淡泊。一番描写が丁寧になるのが戦っているシーン。これを乾いているといえばいいのかなんといえばいいのか……。

・戦っているところに自分を見出しているという描写もある。最初は「仕事」と言い切っている。

・ドライな見方。人間は肉であったりはぎとったところがある。げーむが好きで勧善懲悪な物語が好きなので魂ありきとして読んでしまうから、その観点で読むとなんて悪意しかないように見えてしまう。が、そうじゃない見方を提示してくれた。伊藤計劃はすごい。

・伊藤計劃記録。「私」という存在に書かれている。意識受動かせつ?タイムラグがある。ものを見て頭の中に描くのにも。タイムラグをついて脳が勝手に「私」を作り出している。それこそが人間なんだという文章を書いている。

・その辺を読むと伊藤計劃さんのことが分かる。私というものが作り出した錯覚はかなりドライ。ロマンチックに表現している。脳みそが編集した物語。自分が文章を書いているのも物語として受け付けられたいからだと書かれている。希望に満ち溢れた書き方なんじゃないか。そういう意図もあったのではないか。

・ハーモニー……ユートピアなのか、ディストピアなのかどっちなのか?
・最後の方に未来人が書いている。意識がない。必ずしも暗い世界じゃないのかなと思った。自我をそれなりに持っている。

・すごくユートピアなんだけれども、世界を認識して、自分として認識する人がいなくなっちゃうんじゃない?そういう世界ってユートピアなのかな?

・人間以外の動物はそういうもの。

・ハーモニー、その状況によると他の人と比べて落ち込んだりはなくなる世界。感情自体はあるけど自我がなくなってしまっている?フリープログラム。

・帯に「現代における罪と罰」と書かれている。

・自分が行うことの罪と罰。自分で意識してないと「人間ですか?」という。認知障害で難しい方=人間なのかというのは、それは違うんじゃないかとも思う。

・選択は自分の選択なんだろうか?なんだけど、自分は選択していると認識するので罪と罰を感じてしまう葛藤。そう考えないと立ち行かない。

・環境だとか遺伝子によって規定されて自分の選択とか遡ることが出来るとか、今の自分が立ち行かなくなる。グラグラしちゃう。誰かがそうなんだよというと。言ってくれたところで信じれるか。判断・選択していると証明する気にもなれないから、どっかで折り合いつけないと。『From the Nothing, With Love.』を読むとそうかなとも思うし。

・ウィリアムに対して反射的に投げちゃったのかな。

・この主人公信用できねえなと感じる。一人称視点トリック。

・アレックスのシーンゾッとした。

・ジョンポールは家族をテロで奪われて、虐殺をしている。虐殺をしているから。守るものがない状態でなんでやってるのか疑問だった。

・ジョンポール自身が虐殺文法の影響を受けている可能性もある。主人公を受けた説もある。

・イラク戦争などの影響が大きいなと。G9を守るという文があったが、守るものは安心安全な社会なのではないか。

・クラヴィスのどんでん返しというか、アメリカに虐殺文法を使うことによって、アメリカ自体を自滅させる。

・世界の中心で愛を叫んだけものに近いかも。

・392ページ「スペクタクルとしての戦争は常に必要だ」「戦争がショッピングモールのBGMのようにきこえてくる」

・上院議員はみんなやばい。

・好き…スターバックスの永遠とドミノピザの普遍性。

・読んでから行った。ザビエル像の前で写真撮った。

・プラハだけ生活・日常のリアリティがある街・場所として感じる。生活感がある。

・気になったところ……エピローグで、母がぼくのことを見てなかった。395ページにくるまで話を進めていく伊藤計劃はやばい。

・クラヴィスが最後えらいことする→気になったのは処置の決定をするときに申請をしなかった。

・主人公が自覚しないまま進んでいく。

・意識の話はするけどフロイトの話はしないのでジャンルは違うのかな。夢もよく出てくる。夢のシーンが魅力的な小説はこんなにないかな。ソラリスくらいかな。

3.読書会を終えて

虐殺器官を課題本としていましたが、ハーモニーの話題にもなりました。「私」「自己」というものがどこにあるのか、という話に及ぶと、やはり必然にというか、ハーモニーの話題もしたくなっちゃいますよね。私自身は今回の読書会に向けてハーモニーまでは再読できていなかったので、2、3年くらい前に読んだときの記憶を頼りにすることに。くううう!やはり読んでおけばよかったと準備不足感……。プライベート・ライアンの冒頭十五分までは観れたのに……。課題本読書会は終わっちゃいましたが、またハーモニーも読みたいなと思います。

あ、でもこちらは読んでいました。今回読書会にも参加してくださった方が以前ハーモニーについて書かれていた読書コラムです(勝手に貼るっていう←)

▶【読書コラム】ハーモニー – 意思と現象のディスハーモニクス(KJさんのサイトに飛びます)

以前読んだときに理解出来ていたかというと「完全理解した!」とは言い難かったのですが……『虐殺器官』を読んだあとだったからか、それともこの2、3年のうちに私が劇的に賢くなっちゃったのか(多分後者でしょうね)、今回はスッと入ってきました。非常に面白いのでぜひ読んでみてください!

他にも『虐殺器官』や『ハーモニー』の考察サイトはざっと目を通してきました。屍者の帝国もちょっと前に読みました。

そうして挑んだ読書会。それでもやはり若干の準備不足を感じつつも、出来ることはやった!もうばっちりだ!あとはなるようになる!という姿勢で臨みました。というのも、どれだけ準備していても当日はLIVEですからね、100%準備ばっちりなことは多分絶対おそらくないと思ってます。なるようになる精神、大事。

で、読書会。

クラヴィスと母との関係について、395ページにくるまで話を進めていく伊藤計劃はやばい、と。これを聞いてゾワゾワッとしました。読んでいるときにはさらさらっと読んでしまいましたが、ここらへんは再読するときに改めて意識しながら読んでみたいなと思いました。

私自身、この『虐殺器官』を機に読書熱が戻ったわけですが、この作品に心を鷲掴みにされたのはなんでかなーと改めて考えました。普段なら「俺の中二心をくすぐったからだ!」なんて言葉で片づけてしまいがちですが、参加者の方が言われていた「伊藤計劃さんの作品では私・人間らしくというものを必ずしも肯定的にはとらえていない。所詮人間も肉に過ぎない。がベースにありつつも私というものを考えてしまう人間の葛藤を描いている」「人間の捉え方が独特。モヤモヤしたものをまとめてくれた。人間は物質であるとか、遺伝子とか。言葉の力、自由意志があって、価値がある。魅力的だなと感じた」というところにヒントがありそうだなと感じました。まあ無論今でも中二病を永久発症している私なんですけれども、それでも年を重ねるにつれて当たり前だとか一般常識だとかいわれるものを身に着けてきてしまってるわけで、表面的にはごくごく平凡な人間に映るようになってしまっているわけです。得たいの知れない世間・大多数が肯定的に捉えているもの、当たり前だとされているものに染まってきている私にガツンと殴り込みをかけてくれたのが、この作品だったのかなと思います。とはいいつつ、やはり「今の私」がそれらを完全に肯定しながら読めたわけではなかったんですけれども、立ち止まって考えさせてくれるものがあったように思います。

なんせ、「私」という存在そのものについて考えさせられた回でした。読書会は終わってしまいましたが、日常生活の中でふと頭の中によぎることが多くなる気がしてます。

あと、小松左京さんの作品にも興味が沸いてきました!『伊藤計劃記録』も読んでみたいですね。『罪と罰』も読みたいですね。色々と読んでみたくなりました。

そんなこんなで今日は終わります。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!