夜と霧/ヴィクトール・E・フランクル

2 min

夜と霧 新版
ヴィクトール・E・フランクル (著)
池田 香代子 (翻訳)
みすず書房

「驚かしてなどいない。恐がらせたなどとんでもない。驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに(テヘランの死神より)」

ももちゃーん!(偽名)

見てるぅー?(カメラの前ではしゃぐ風に)

という超身内向けな発信から今回は始めてみました。今回の記事は本を貸してくれたももちゃん(偽名)向けに書いております。きっとももちゃんだけは笑ってくれている事でしょう。鼻で。

実は一年前にももちゃん(偽名)から教えて頂いていた本なんですが、気にはなっていたものの読めていませんでした。それが以前書いた「囚人番号432 マリアン・コウォジェ画集」の記事で夜と霧が出てきまして「読みたいなー」と書いたらコレコレ!と持ってきてくれたのです!

「おお!あれか!」と自分の中で点と点が繋がり線になった瞬間!!テヘランの死神も一度聞いた時はなかなか理解出来ずだったんです(すんません)検索して調べてみても、これが何を意味するのかは分からなかったのです(すんません)でも今なら分かります。こりゃあ説明が難しい。

精神科医、心理学者のヴィクトール・E・フランクルが強制収容所での体験をもとに書いた本です。施設に収容される段階と収容所生活、収容所から出所ないし解放された段階の心理状態が書かれています。世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれている世界的名著。読売新聞が2000年に調査・発表した「21世紀に伝えるあの一冊」にも入っており、100de名著でも取り上げられてます。これだけ有名なのに全然知りませんでした。教えてもらわなかったら読む機会はなかったかもしれません。ももちゃーん!(偽名)見てるぅー?(もういいか笑)

読んだのは池田香代子訳の新版です。
原著の初版は1947年、日本語版の初版(霜山徳爾訳)は1956年。
1977年にフランクルが新たに手を加え改訂版が出版されたことで、みすず書房が『夜と霧 新版』(池田香代子訳)を2002年に出版しています。
霜山徳爾訳版も気になるところです。

少壮の精神医学者として嘱目され平和な生活を続けていましたが、彼の平和はナチスのオーストリア併合以来破られてしまいました。ユダヤ人だったからという理由で彼の一家は逮捕され、アウシュヴィッツ等に送られました。数々の理不尽な仕打ちによって希望は打ち砕かれ感情が消滅していきます。

序盤に恩赦妄想という言葉が出てくるのですが、これが実に恐ろしい。死刑を宣告された者が処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想しはじめることのようですが、それと同じで、収容されたばかりの彼らは希望にしがみつき、最後の瞬間まで事態はそんなに悪くないだろうと信じてしまいます。

移送されたあと、最初に親衛隊員の人差し指一つで右か左かに分けられます。彼らは右は労働に、左は病人等の収容所にやられるんだと考えますが、夜になってその意味を知ります。生か死の最初の選別。もし左に行っていれば・・・。と、このようなどちらが生き延びられるのか全く分からない選択が次々と起こります。そのような環境と暴力によって希望は打ち砕かれ、感情が消滅していきます。人間を虫けらのように扱って平気でいられる監督官。ですが、監督官の中にも善は存在するし、被収容者の中にも悪は存在する。監督官が加害者で被収容者が被害者と簡単には言い切れない。

読んでいると、まるで自分が強制収容所にいるかのような感覚にも陥ります。悲惨・・・なんて言葉一つでは言い表せないですね。読んでる最中は感情を引っ張られるかもしれませんので、覚悟して読むか、一気に読んでしまうか、薄目で読んでみるかをオススメします。読まなきゃ良かったなんて事はないはずです。

これほどのことが実生活で起こる事は多分ないと思っている今の自分こそ、恩赦妄想中なのかもしれません。

実際、閉鎖的な環境では似たようなことはすぐにでも起こりうるし、知らず知らずの内に自分自身が誰かを追い詰めてしまっている事だってありえますからね。戒めの為にも一読をオススメします。

《文:nonono》

 

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