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さあ本日もぼちぼちやっていきましょう。ひとりがたり。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、前回は第68回 群像新人文学賞に応募する前にごちゃごちゃした下書きを放出してスッキリしようの回だった。今回は応募し終わって書く前から既にスッキリしているのだが、余裕のあるときにふと思ったことを書いておこうと思った次第。またお付き合いいただければ幸いです。それにしても「ひとりがたり」は気楽である。普段はタイトルを考えて、オチを考えて、そこに至るまでを考えて、ある程度頭を捻っているのだが、この「ひとりがたり」に関しては本当になんにも考えずにただただ手を動かしている。読んでいる人を意識せずに書いているのだ。いやあ気楽気楽。
文学賞応募に関しては、次は太宰治賞に応募するつもりでいる。締め切りは12/10で既に2ヶ月を切ってるんだけれども、まあ10月末くらいまではだらだらと頭の中で構成を練って、それから書こうかなくらいに思っている。ネタは既にあるので、慌てることはない。それに、書いている期間というものは本を読めなくなってしまうので、しばらくは読書に時間を当てたいところである。『黒い家』は今週末の課題本なので絶対に読むとして、他にも以前推し本紹介されていた本でいくつか読もうと思っていたものが溜まっている。積読マウンテン状態。
『ダンダダン』がアニメ化されて絶賛放映中である。『チ。 —地球の運動について—』とあわせて今クールの中で楽しみにしているアニメだ。VIVANTとか半沢直樹とかもだったけど、毎週放送を楽しみに出来る作品があるシーズンというのは良いもんである。
ところで、ここ最近「彩ふ読書会」について振り返る機会をいただいている。だいたいいつも一応毎年一回くらいは振り返りの記事を書くようにはしているのだけど、基本「全速前進DA!」な私なので、後ろを振り返るようなことはしない。改めて考えるとすごいのかすごくないのかくるっているのかわけわからんことを私はやっているなあと感じる。
振り返る機会の一つは「京滋での読書会開催を考える会」である。ついでにリンク先を貼っておこう。こちら、1/25か2/1に開催するのでぜひ参加ご検討いただけたら幸いである。
《山科か大津か草津》1月25日(土)か2月1日(土) “読書会” 開催のお知らせ@彩ふ読書会+京滋での読書会開催を考える会(仮)
この「京滋での読書会開催を考える会」の発足にあたり、9/28の午前中に参加者有志で集まることとなった。
読書会を行う上での目的や開催場所、開催頻度、読書会形式、参加費用、告知方法、主体者、メンバー間の連絡方法などなどを話し合ったのだが、同時に彩ふ読書会では何を大切にしてきたのか、改めて振り返る機会となった。
そしてつい先日……ん?昨日だったっけ?に、また新たなご提案をいただいた。こちらも彩ふ読書会を振り返る機会なのでとても楽しみにしている。
これらの件があり、ここ最近振り返っているわけだけども、ざっくり言うと「今やってないことはだいたい失敗している」という結論になるかもしれない。まあこれも「何を持って失敗というんだい?」という精神でいけば、成功するために策を練って温存しているだけとも主張できるし、逆に成功とは何を指すんだい?でもあるので、今やっていることはだいたい成功という結論には至らない。推し本披露会も課題本読書会も続けてはきているものの、当初とは形を変えているし今も変わり続けている。たとえば推し本披露会は3ヶ月かそこらだったか、全体発表の代わりに「そのグループで最も読みたくなった推し本を決める」という形を取っていたことがある。これは合わないなと思って割とすぐにやめているし、全体発表に関しても最初はメッセージカードを読み上げてもらう形を取ったりしていたが、そうなると全体発表自体が30分以上かかり途中でだれてくるのもあり、今は持ってきた本のタイトルだけを紹介してもらう形にしている。また、進行役を置かない形式も最近は取り入れている。今の形が最良とは言えないし、その日に集まるメンバーにもよるので、「めちゃくちゃ面白い回だった!」というときもあればそうでないときもある。
最近、私が最も悩んでいるのは課題本読書会の進行方法であったりする。参加者が10人くらいだったとき、5人ずつでグループを分けるか、10人1テーブルでやるかは前日くらいまで悩んでいる。初参加の方が多ければ1テーブルでもちょうど良い感じになったりするし、課題本によっては「やべ、時間が足りねえ……(グループ分けしときゃよかった)」となることもある。反省はするが後悔はしない精神の持ち主なので、それはそれで良かったと片付けるし、意外と「これはあかんかったな……」という出来事のほうが印象には残っていたりもする。
以前の私は、皆が均等に喋れるようにと考えていたこともあり、あまり発言が目立たない方には「〇〇さんはどう思います?」と聞いていた。ただ、私自身がそうなのだが、特に何も思うことがないから沈黙しているときが仕事のときにはよくある。そんなときに振られても「あ、うざ……」と思うだけで、いや、思うだけでなくたまに口にしてしまうこともある(※振る人と仲が良いので)
進行をしていると沈黙が怖いのだ。怖くなるから、「誰か喋って〜」とヘルプを出すのである。ただ、上記のように相手方のことを考えてみたら、振るのは悪手なような気がして、最近は流れに身を任せるようにしている。喋りたい人は喋れば良いし、思いつかない人や今回は様子見しとこうかなという人は無理して発言しなくても良い。でもどうしても発言したいけどタイミングがつかめないという人は私にアイコンタクトしてね、そしたら振りますよ、という形にしている。それが最良なのかは分からないし、私自身の当日のコンディションにもよるが、何より初参加の方が気楽に参加できる形にはしていきたいところだ。このように推し本披露会も課題本読書会も日々アップデートしているわけで、アップデート内容によっては「こりゃあかんな、戻そう」ということもある。ただ、コロナ禍を経験して思うのは、こうしてやってみることが出来て、改善を加えていけることが何より嬉しいことだと感じている。コロナ禍で読書会を休止中は、頭の中で改善点を思いついても実際に出来るわけではなかったので、ただただ鬱々としていた。そう考えると、読書会が開催できていること自体が私にとっては幸せなことであり、失敗だったな〜と思うことですら、「次はこうしよう」と思える機会なので貴重なのだ。そしてそれらを読書好きな皆と共有し、みんなで彩ふ読書会を作っていけてることがまた嬉しいことなのである。
他にもいっぱいあるのだが、それはご提案いただいた日の楽しみにとっておこう。
さて、そろそろ『黒い家』を読んでおかなければならない。ちなみに貴志さんの作品はいくつか読んできているが意外と『黒い家』は読んできていなかったので楽しく読んでいる。改めて思うのは描写の細かさすげええである。手のひらの皺とかを表現するなんて、思いつきもしなかったぜ……と唸ったり、ああ、人間って怖ぁ……と思いながら読んでいる。課題本読書会で話すことがとても楽しみである。
そんなところで今日はおわる。
最後に過去のひとりがたりをまとめたリンクを貼っておきます。では!