幸せを幸せだと思わないことはもうやめにした

私の中にはデモ魔人が棲んでいる。

例えばおいしいスイーツを食べたとき。おいしいな〜、幸せだなあと感じるとすぐに「デモ太ッチャウネ」と耳元で囁いてくる奴がいる。そいつがデモ魔人だ。

例として食べ物をあげたが、デモ魔人は食べ物だけではなくあらゆることにつきまとう。

例えば会議が盛り上がって何か面白いアイデアが出てきたとき。すぐさま「デモ予算がな…」「デモ怪我するかも…」なんてことが先に浮かんできてしまうのだ。誰かのアイデアのときもそうだし、私自身が面白いと思って思いつきで発言したことに関しても、発言している最中にデモ魔人はやってきたりする。自分自身面白いと思ってるはずなのに「あ、デモこれは何々のリスクがあるから難しいっすね」なんて打ち消してしまうことも多々あるのだ。

一方で私の中にはイテマエ魔人も存在する。リスクヘッジ完全無視。「イテマエイテマエ!」と耳元で陽気な野次を飛ばしてくる。

どちらも厄介な奴で、食べる前にはイテマエ魔人が「タベテマエタベテマエ!」なんて言うもんだから、つい「え?!良いんですか!?」なんてうっかりなっちゃって、それでいて口にした途端に「デモ太ッチャウネ」とデモ魔人がやってくるのである。イテマエ魔人とデモ魔人は対になる存在でも何でもなく、どちらも私をけしかけて弄んでいる。

おかげで「おいしー!」とおいしいものを食べて幸せを感じることが出来るのはほんの僅かな一瞬で、その後は「またやっちまった……」という決して拭い去れない罪悪感に支配される。

そんな風なもんだから、幸せだなあなんて感じることは少ない。

しかし例えば他人のデモ魔人に「デモ太ッチャウネ」なんて言われたら「そいつぁオレのデモ魔人のセリフだ!」と憤る。自分自身のデモ魔人に愛着も持ってしまっている。なかなか厄介な奴である。

例えば子どもと一緒に遊んでいるときもそうだ。子どもは予定通りには動かない。つい「デモ昼ゴハンタベナキャ」だとか「デモヘヤノソウジシナイト」とデモ魔人は囁いてくる。
次の予定に時間が迫ってくると、予定通りに動かない我が子につい口調が厳しくなる。

子どもはすぐに大きく育つ。

本当にあっという間だ。

同じ一日なんて二度とないはずなのに、その一日を楽しめていない。

もったいないなと思う。

幸せだなあは幸せだなあで良いのだ。

そう思えるようになるには非常に厄介な魔人たちと折り合いをつけていなかければならない。

時間はかかるかもしれないが、ひとまず考え方として、幸せを幸せだと思わないことはもうやめにする。

そんなところで今日は終わる。