すれてなくて、ええ子やなあ

「すれてなくて、ええ子やなあ」

と、人を見て思うことがある。

 

自分でいうのもなんだが私自身も結構な「ええ子」で、言い換えれば「あほな子」である。そんな私が、だ。私よりも「ええ子やなあ」と思う子が存在するのだ。

 

彼、彼女らはこれから色んな経験を積んで、徐々に擦れていってしまうのだろう。

 

これから先、この子はどう育っていくんだろうなあとか、このままでいて欲しいなと思う反面、何かを乗り越えたその人の姿を見てみたいなとも思う。

 

結局の所、その人がどのような人生を歩むのかは歩んでみなけりゃ分からない。