今の正直な気持ち

ここ一ヶ月ほど、夜中の午前0時頃に毎日何かしらの記事をアップしてきた。

ほとんど予約投稿なので、実をいうとその時のテンションとは違う事も多い。記事でははしゃいでいても「あー、今日はしんどかったな」なんて日もあったりする。逆も然り。真面目な記事を書いている時であっても「今日楽しかったな~!」って日もある。リアルタイムで思いついた時に書いてアップすれば良いのだけれど、なかなかそうもいかない。書ける時は一気に沢山記事を書けるけれども、書けない時は全く書けない。特に最近は暑さにやられてバテ気味だ。体力が落ちると精神的にもバテてくる。通勤中に書いていた記事はストックがほとんどなくなってしまった。バテ気味でスマホを開く気力がないので、しばらくは更新がぽつぽつって感じになるだろう。

今日の記事はアップするほんの一時間半前から書き出したものだ。

つまり、8/14の22:30頃の私の正直な気持ちである。

 

 

私が今最も感じていること。

 

 

それは。

 

 

 

 

もうすぐ休みが終わる・・・・・・!!

 

 

 

 

私は絶望に打ちひしがれている。

あれだけ休みがあったはずなのに、もうあと一日しか残っていない。私は何をやっていたのだろう?長期の休みに入る前にはあれしようこれしようと計画を立てるけれども、大体いつも何もせずに終わる。全くもって学習しない人間である。ほんと何してたんだろう?どこかに時間泥棒がいるはずだ!!ちょっと思い出してみよう。

浴衣でスイーツ会したな~。うん、あれは非常に楽しかった。

漫画限定読書会で気になっていたハイキュー!!も再読出来た。うん、

ジョジョの第二部の視聴はまだだ。明日観よう。課題本の夏への扉も途中だ。明日中に読み終わろう。

「あなたの番です」を最新話まで一気に観た。あ、これですわ!!

 

美容師さんに勧められていた「あなたの番です」を最新話まで観て、Huluでスピンオフの扉の向こうまで全て視聴してしまった。考察サイトを覗いていたらあっという間に時間が過ぎていた。

これだ。

これですわ・・・・・・!!

美容師さんと話をするために観ようと思っていただけのはずだったのに、すっかりハマってしまった・・・・・・。めっちゃ面白い!!早く日曜日が来ないか楽しみにしている自分がいる。

是非皆にも観て欲しいと思う反面、人によってはオススメできないとも思う。というのも、ドラマに出てくる人全員が怪しく見えてきて、若干実生活にも影響が出てくるからだ。影響されやすい人は人間不信に陥る可能性がある。これはドラマの話!エンタメ!リアルではありえない!と割り切って観れないのであれば観ない方が良い。何故なら私がしばらくそうなってしまったからである←

ここ数日、私は普段では考えられないほど考え方がネガティブ思考だった。ちょっとした発言の意図を探ってしまう。裏を読もうとしてしまう。何だ。何がどうなってこうなったんだ?と余計な事を考えてしまう。原因はこのドラマを観始めていたからだとしか思えない。それほど影響力が強いドラマなのだ。特に序盤の展開はヤバかった。うわー、誰も味方いないじゃあないか!という思考はかなり危険だと思う。分かっていても、ドラマ序盤を観ていた頃の私は引っ張られて若干思考がヤバかった。今は落ち着いているけども、ちょっとしんどかった感がある。

もし今からドラマを観ようと思っている方は、是非一気に観る事をオススメしたい。最初だけ観てやめてしまうと、ただ単に人間不信の種を植え付けられるだけで終わってしまうからだ。

語りたいー。あなたの番ですについて語りたい!しかし、観ていない人の前で話すと全てがネタバレになってしまう。ダメだ。それはダメだ。じゃあどうしたら・・・・・・よし、作るしかないな!←イマココ

 

 

久しぶりに読書会についての事も書いておこう。

「何かを変える」という事は改善になる時もあれば改悪になる時もあるんだなあと感じている。もちろん意図して改悪しようとしているわけではない。こうした方が良くなるんじゃないかと思いながら変更を加えているのだけれど、予想外の方向に進んでしまっているという具合だ。あらかじめ予想出来れば良いのだけれど、実際にやってみて分かったって事も沢山ある。端から見れば「やらんでも分かるやん!馬鹿じゃねえの?」って思われる事も沢山やっている気がする。後で言われてぐうの音も出ねえ・・・・・・反論の余地はありません・・・・・・なんて事もある。じゃあ先に言ってよ、なんて思っちゃったりもするけれど、多分先に言われても実際にやるまでは意見も聞かず突っ走ってしまうのが性分でもある。タイミングもある。この頃にやっていたら合っていたな~ってアイデアも、今の状況では合わなかったりする。一概に全てのアイデアが良いかというとそうでもなくって、経緯なども関係してくるし、この見極めが大変難しい。

何も変えないって手もある。けれど、改善であれ改悪であれ、変えていく姿勢は必要なのではないだろうかとも思う。例えば「以前の方が良かった」というのは、悪い状態を見たからこそ言える事だ。改悪した事で比較材料が出来たともいえる。比較材料がなければ「以前の方法って実はこういう良さがあったんだなあ」と気づく事は出来なかったのだ。そう考えれば「やらんでも分かるやん!馬鹿じゃねえの?」って事でもやった意味は出てくるのではないかと思われる。どんだけポジティブやねんって話だけれど、まあ基本私はそんな人間なのだ。ついつい頭の中では幻想水滸伝が浮かんでしまうのだけれど、1、2が好きな人は3で衝撃を受けたのではないだろうか。けれど、3があった事で1、2の良さを再確認出来たのではなかろうか。そして、3にももちろんファンがいる事を忘れてはならない。3だったから幻水にハマった人もいるだろうから、1、2が好きな余りに3を批判するのもどうかと思うのだ。

 

大事なのは、何を目的としているか?

 

その目的に沿った事が出来ているかどうか。

 

じゃなかろうか?

 

彩ふ読書会の目的は「本が好きな方々の居場所作り」だ。

 

家庭でもない、職場でもない、貴方にとっての第三の居場所。本が好きであれば、年齢も性別も問わないし、障害があってもなくてもLGBTの方であっても学生さんでも社会人でも大人でも子供でもそこに制限はない。小説が好きでも、ビジネス書が好きでも、マンガが好きでも、絵本が好きでも、読書ががっつり好きな人でも、最近始めた人でも、誰でも大歓迎だ。そんな枠組みを取っ払っていきたいのだ。

まあ「本が好き」って所で既に制限してるじゃん、って話ではある。そこを突かれちゃあ「ぐぬぬ・・・・・・」となって言い返せない部分ではある。もっと他にやり方あるんじゃないの?と言われれば、これまた「ぐぬぬ・・・・・・」となって言い返せない部分ではある。けれど、他のやり方で失敗してきたからこそ、彩ふがあるのだ。彩ふが出来る前にも既に私の中では改善も改悪も繰り返してきた。その結果をふまえての彩ふ読書会なのだ。そう考えると、これもまた次の段階があるのかもしれないし、形としてはこれが終着点なのかもしれない。今はまだ、何も分からない。いずれにしても、その人自身ではどうにも出来ない部分では制限をしたくないってのが私の考えだ。これは今の仕事で障害のある方々と実際に接してきた中で生まれた個人的な思いでもある。

障害のある方々と、ない方の壁は、すんごくある。

ハーモニーや一九八四年を度々出しているのだけれど、障害のある方々が接する機会のあるいわゆる健常者は、重度であればあるほどほとんどが医療・福祉関係者だ。それなりに知識もあって、接し方もよく分かっていたりする。そんな人たちに囲まれて生活をしている彼ら彼女らは、カゴの中にいるようなもんだなと思う時がある。周りの医療・福祉関係者もそれで良いと思っている節があるように思えて、何だこの世界って感じる事が度々ある。そもそもこの障がい者、健常者という分け方が私は気にくわない。まあこの見方自体が偏見を持っているのではないかと言われればそうでもある。私自身も当事者ではなく、あくまでも仕事として接する機会を持つようになり、このような考えを持つに至ったからだ。今より少し昔の時代に遡ればまた違った見解もある。ともあれ、私がまだ漠然とだけれども個人的に目指しているのは「福祉からの脱却」である。

健常者として生きる人々もまた、障がい者の世界から逆に隔絶されているともいえる。彼ら彼女らの生き方、生き様を知れば、互いに刺激の多い事この上ないのだけれど、そのような機会を持つことがない。福祉の心なんぞいらんから、是非関わってみて欲しいなとも思う。

私はこの障がい者と健常者の境界線をなくしたいとも思っている。あまり書くとこいつやべーヤツと思われるかもしれないので普段は書かないけれども。声や態度のでかい人だけが楽しめるような空間は理想的とはいえない。けれど皆が配慮ばかりして我慢し続けてしまうような空間も理想的とはいえない。互いに互いをリスペクトし合える関係性を作ること、作ろうとする姿勢が必要だと思う。そして、関わっているうちに関係性は変わっていくものだ。読書会を始めた当初と今では随分とお互いの事を知る事の出来た人もいるだろう。

人と関わっていれば必然的に色んな感情が湧き起こる。でも、関わらなかったらどんな感情も湧き起こらない。ちはやふるの中に好きな言葉がある。映画しか観ていないけれど、机くんのセリフで「前みたいに一人で居ればこんな気持ちにならなかったのに」ってやつがある。彼はカルタを始めて、仲間達と関わるようになって、挫折も味わって、気持ちを吐き出した。私はこのシーンが大好きだ。人間って感じがするのだ。生きてる!って感じがするのだ。

「暗黒時代を語る時がやってきた」シリーズでも書いたけれど、私は地元にいた頃はほとんど何も考えないで生きてきた人間だった。他人との関係性も薄く、淡々としていた。関西へやってきて色んな事を経験した。楽しいことよりもしんどい事の方が多かったような気もするけれど、「生きているな!」って感じは、人と関わってきたからこそ得られたものだ。

そして今、彩ふ読書会を続けていく中でも色んな新しい事を経験させてもらっている。考えることはとんでもなく多い。次なる展開も既に考えているし、今の状態から改善したい事も山ほどある。けれどそれがしんどいわけじゃない。それよりももっともっと費やす時間を増やしていきたいと思っている。まさに今、私は生きているのだ。物理的な限界はもちろんある。けれど、まだ限界じゃない。出来ることはまだまだある。そのために何をするか、考える事が楽しい。

一周年イベントを終えた直後、私は若干燃え尽きかけた。私個人としてやりたい事はここで叶ってしまったからだ。けれど、今はまた違った視点でやりたい事が生まれていて、そこに終わりはない。ここしばらくプライベートやら仕事に追われて屁っ放り腰になりつつあったけれど、やはりそれは私のスタイルではない。

ガンガンいこうぜ!

いつか死ぬその時まで。

とことんやったるわい!

 

 

 

 

・・・・・・というわけで今日はおやすみなさい!!(気づけば深夜1時!!)