便意との戦い

先日、便意との激しい戦いがあった。

今日はその顛末をお伝えしよう。

最近焼肉が好きでよく食べ放題に行っているのだが、食べたらすぐ出るタイプな私である。

あ、お食事中の方、申し訳ない!スマホをそっとテーブルの上に置いてください!

その日も焼肉食べ放題に行った。大体いつもはそのまま帰宅するのだが、今日は妻が「無印に行きたい」というのでショッピングモールへと足を運んだ。ついた途端に便意がやってきた。私はすぐさまトイレへと駆け込んだ。

人文字で「ス」を作りたいくらいにスッキリした私は、妻と無印で合流する前に地下にあるスーパーへと寄った。夕食の材料を買っておこうと思ったのだ。

これがいけなかった。

買い物中、再び便意がやってきたのだ。

ちょ、おま!

さっきスッキリしたとこやないかい!!

冷蔵コーナーで冷えたからだろう。下腹部が痛みだした。やばい、これは、やばい。ショッピングモールなのでトイレは近くにあるのだが、この時すでにレジを終えていた。つまり、ネギやら白菜やらを手に待っていたのだ。あ、今夜は鍋だ。キムチ鍋だ。

トイレにネギやら白菜やらを持ち込みたくないという心理が働く。となると、一旦車に戻って荷物を降ろし、それからトイレに駆け込むことになる。

ざっと距離を計算する。地下からエスカレーターを使って3階にあがり、連絡通路を通って駐車場へ。車に荷物を置き、ついでに邪魔になりそうな上着も脱いで、再び連絡通路を通って3階にある最も近いトイレへ。かなりの距離だ。便意は波打っている。はたして保つだろうか。もういっそネギやら白菜やらをトイレに持ち込んでしまおうか。

そんな風に計算していた時、脳裏に浮かんだ人がいる。

朝井リョウさんである。

朝井リョウさんは『何者』で直木賞受賞した作家だ。小説の方で彼を知った人は「なんでここで朝井リョウ?」とお思いかもしれないが、小説とのギャップがひどいものを彼は書いている。『時をかけるゆとり』と『風と共にゆとりぬ』と『そして誰もゆとらなくなった』だ。ゆとりシリーズとして書かれた3部作のエッセイである。

朝井リョウさんのエッセイは腹を抱えて笑えるくらい面白い。通勤中に読んだら「ブフッ」となって周囲から冷たい目で見られること必至だ。

そんな彼のエッセイには便意にまつわるエピソードが沢山おさめられている。朝井リョウさんは緊張するともうだめで、すぐにお腹が痛くなるのだ。

私は今!

かの朝井リョウさんのエピソードを追体験している!!

そんな風に気を紛らわせてみる。どうにもならないが、「一人じゃないんだ…」と謎の安心感を得ることが出来た。

ところで、サムネを同じもの使ってるのでややこしくて申し訳ない。読書会当日に急いでいたのにこちらを間違ってクリックしてしまった方、いやはや申し訳ない。読書会当日連絡用ページはこちらです。

▶読書会当日の連絡用ページ

ちなみにこのシルエットの彼は便意と戦っているわけではない。遅刻しそうで焦っているだけだ。

閑話休題。

何とか気を紛らわせつつ無事に駐車場に辿り着いた。車に荷物を置く。ついでに邪魔になりそうな上着も脱ごうとする。しかし焦ってしまい服が脱げない。やばい!と無駄に力んだせいで下腹部へ急激な痛みが襲い掛かる。なんてこった!やばいやばい!焦れば焦るほど服が脱げない。

私はそこでも朝井リョウさんを思い出し、即座にバッテン脱ぎを繰り出した。バッテン脱ぎなんてこれまでの人生の中で一度もやったことなんてない。しかしエッセイを読んでいたおかげでイメージトレーニングはばっちりだ。無駄にセクシーに脱ぎ、バタンとドアを閉める。閉めた直後に後悔する。なんでまたこう無駄に力を入れるようなことをするのよ……そっと閉じれば良いじゃない、そっと。私の下腹部は一旦大きな波を迎えた。深呼吸をし、少し気を落ち着かせる。

何とか波が引き、車から離れて再び連絡通路を通り、3階にある最も近いトイレへ向かう。

波打つ便意。

1分が1時間にも感じられる中、脳裏に浮かんだ人がいる。

星野源さんである。

星野源さんはシンガーソングライターであり俳優であり、もはや知らない人はいないだろう。「なんでここで星野源?」とお思いかもしれないが、彼は見た目とのギャップがひどいものを書いている。『そして生活はつづく』というエッセイだ。こちらのエッセイも腹を抱えて笑えるくらい面白い。通勤中の読書におすすめしたいがおすすめできないといういわくつきの本である。

そんな彼のエッセイの中にも便意にまつわるエピソードがおさめられている。星野源さんもすぐにお腹が痛くなる人なのだ。

そのエピソードの中に演出家Sさんという人が出てくる。彼もお腹が痛くなる人で、腹痛話で盛り上がって一瞬で仲良くなったらしい。気持ちは分かる。

その演出家Sさんは、家まであと半分というところまで来てお腹が痛くなってきた。何とか家が見えてきて間に合いそうだ、あと十メートル、五メートル、何とか帰宅。玄関からトイレまで直行してドアを開ける。見ると便器のふたが閉まっていた。まずい、もう限界だ。片手でズボンを下げつつ、座りながら勢いよく便器のふたを開けて座ろうとした。すると、勢いがよすぎてふたが跳ね返ってまた閉じた。

気が付くと彼は便器のふたの上に座り、そのまま出してしまっていたらしい。悲惨だ。

こんな状況でそんなエピソードを思い出してしまい、嫌な予感をさせつつ、3階にある最も近いトイレへ到着した。もう限界だ。扉を開ける。

便器のふたが閉まっていた。

私は今!

演出家Sさんのエピソードを追体験している!!

いやいやいやいや!それはあかーん!!それだけは嫌だ!!なぜ私がこんな目に合わなければならないのだ!!いや、1回目と同じ場所に入ったから、多分これ閉めたの私だよ!!自分で自分の首を絞めちゃってるよ!!

誰に向けて良いのか分からない怒りの矛先。しかしそんな悠長なことを考える時間はない。片手でズボンを下げ、座りながら勢いよく便器のふたを開けて座ろうとする。すると、勢いがよすぎてふたが跳ね返った。あ、やばい。

……こつっ。

跳ね返ったふたは、私の背中に当たった。

そのままふたは私の背中をやさしく包む。

(よくがんばったね)

そう言われた気がした。

私は報われた気がした。

一瞬遅ければきっとふたは閉まっていただろう。ふたが閉まっていれば演出家Sさんと出会ったときに「いやー、実は私も同じことを体験しましてね……」と話しかけて一瞬で仲良くなることが出来たであろう。多分一生出会うことはないだろうが。一生出会うことのないであろう人と仲良くなるためだけにやらかしエピソードを積み重ねるなんてまっぴらごめんである。

内心焦ってばかりではあったが、端から見ればただたんにトイレに二回行っただけである。私は便意との激しい戦いを見事制したのだった。いやー、良かった良かった。

以上で事の顛末は全て話した。お楽しみいただけたのなら幸いである。

ところで、最近お腹がよく鳴る。

対処法を考えている最中なのだが、つい先日やらかしてしまった。会議中みんなが考え始めてシーンとなった瞬間にお腹が鳴ってしまったのだ。しかもグゥという可愛い音ではなく、グゥゥゥギュルルルルルグオーグオーという爆音だった。長時間続く会議であったためお腹が鳴ったのは私だけでなく次々と大合唱が起こり爆笑の渦に巻き込まれた話もあるのだが、それはまた別の機会に。