何もしない人

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先日歌番組を見ていたら、ボーカルの後ろに佇んでいるだけの人がいた。

他のメンバーはギターやベースなどを弾いているのだけれど、その人はただ一点だけを見つめて立っているだけだった。ボーカルからマイクを向けられる事もなかったし、最後まで楽器も弾かなかったし、踊りもしなかった。本当にただ立っているだけだった。

「あいつ何してんの」「何もしないなら出るなよ」「トラブル?」テレビを見ていた人たちはそんな風に思ったんじゃなかろうか。草を生やしながら。私も一瞬そう思ってしまった。けれど、それこそがこのバンドメンバーたちの狙いだったんじゃなかろうかと後になって思った。あの大舞台に立つには歌うか楽器を弾くか踊るか……何かをしなければならないという固定観念がある中で、何もしない人をステージに出す。そこには何かしらのメッセージがあったように思う。

こんなことを書き始めたのは先日の哲学カフェのテーマが「あぁ、忙しい!」だったからだ。年末までの忙しさを乗り越えた後のこのテーマ。タイミング的にも非常に面白い会だったと思う。
前回の哲学カフェでは発言も出来ているし、今回も色々と思いつく事はあったので参加しても良かったのだけれど、どうしても私の思考は読書会や個人的テーマにしている事に偏りがちだなと始まる前に感じてしまった。哲学カフェを行う上で色が出てしまうのはどうかなと考え、当日は見学させて頂くことにした。それがどうなのかはさておき、内容的には話を聞いているだけでも非常に面白い会だった。別の事をしながら話を聞いていたのだけれど、何度も手を止めて発言をメモする機会があった。
読書会は一人一人本の紹介をしたり、本を読んだ後の意見交換となるため、なかなか見学という形が取りにくいのだけど、哲学カフェは見学するだけでも楽しめるし、そういう参加の仕方もありかもしれない。

さて、冒頭のバンドの件についてだが、事実がどうだったかは現時点で何も知らない。機材トラブルがあったのかもしれないし、その人が大舞台で頭真っ白になってただけかもしれない。実はバンドメンバーではない人が紛れ込んでいたのかもしれない。事実はどうか分からないけれど、今回書く記事においてはそんなことはどーでもいい。

お風呂に入りながらボーッとしていたら、その何もしない人と、哲学カフェの内容を急に思い出したのだ。別々の場面であった事が頭の中で繋がり、他の事とも混ざり合い始めて、この記事を書くに至った。そこが私にとっては大切なことなのである。

哲学カフェは2時間ほど喋るが、何か結論を出すわけではない。時間になったら終わるので、良い意味で毎回モヤモヤを持ち帰る事が出来る。今回は「発言しないと!」という気負いがなかった分、前回よりもより傾聴しモヤモヤを持ち帰る事が出来たように思う。本来はその場で考える事が大切だとは思うのだけれど、私の場合は家に帰ってのんびりしている時ほどモヤモヤがやってくる。あぁ、忙しい!←
まあ、参加の仕方は色々とあっても良いんじゃないかと自己弁護しておこう。

さて、仕事が忙しくなると、つい気になってくるのが忙しくしていない人ではないだろうか。周りが忙しくしていればいるほど、のんびりしてる人は標的にされる。「あいつ、何もしてへんやん」という理論が正論として成り立ち、同じように忙しくしている人たちもなんとはなしに賛同する。誰かと楽しくお喋りしていると「口じゃなく手を動かせ!」とかね。

哲学カフェでは資本主義についての話にも及んでいたが、これも面白い問いかけだった。
社会人として働いて、お給料をもらって、自立した生活を送る。そこには忙しさもつきまとうけれど、何となく、社会人で仕事をしている人は偉いように思われる。いや、それが当たり前のこととされている空気感がある。生産性のある人が、全うな人のような捉え方がある。じゃあ学生や無職の方は、どうなのか?稼いでいる人ほど、偉いのか?稼げない人、生産性のない人は悪なのか?

障がいのある方は、いわゆる健常者(という分け方はあまり好きではないけれど)と比べると賃金が少ない。手足を思うように動かせない方もいるので、生産性という視点だけで見てみると彼ら彼女らは社会に貢献していないようにも思われてしまう。生産性がない、のか?

先日、相模原障害者施設殺傷事件の初公判があった。ニュースを見て思い出したくらいだけれど、これについては色々と思う所がある。ただ、しまったなと思ったのは、最近この事を考えていたせいか、思考が仕事や障害関連寄りになっていた事だ。12日は左利き人々という本を課題本としたのだけれど、私的にはこれは少数派の話だな、という捉え方をしていた。それはそれで面白かったのだけれども。この記事を書き終えたら、フラットな見方に戻していこうと思う。

とにもかくにも、また冒頭のバンドメンバーの話に戻るけれど、彼らは何もしなくて良いんだよ、という事が言いたかったんじゃないかなと私は勝手に解釈している。ただ、もう少し穿った見方をすると、本当に何もしていない人がステージに上がる事は出来なかったとも思う。そこには経緯がある。過去があり、現在がある。バンドメンバー達が手を差し伸べているからステージに立てている、ともいえるかもしれないし、実は何もしない人こそが全てを牛耳るバンドのリーダーだったのかもしれない。何もしないとはいえ、何かしていたのかもしれない。もしかすると、そこにいるだけでバンドメンバーは安心感を覚え、いつも通りに演奏が出来ていたのかもしれない。

ミステリー好きとしては推理しがいのある案件である。

以前読書会でも紹介されてたけど、「レンタルなんもしない人」というTwitterアカウントがあり、本も出ている。何もしないのに、人々はお金を出してまでその人を求めている。少し前だったならありえない、と一蹴されてたかもしれないけれど、利用する人たちの心理はすごく分かる。私はまだ利用したことはないけれど、関西でやってる方だったら多分利用してる。一人では不安な事が多々あるからだ。初めての場所に行く時や、新しく何かを始める時。誰かと一緒なら一人の時よりも勇気が出る。何もしなくても、ただそばにいてくれるだけでいい。自分勝手かもしれないけれど、そういう機会は結構沢山ある。本当、関西で誰かいないだろうか?いないなら私がやるしかないな!←

ところで、寝落ちした時の絶望感は半端ない。起きていればあれも出来ていたこれも出来ていたと考えて、かなりもったいない事をしてしまったように感じる。実際に起きていても多分やってないけども。

そんなこんなでそろそろ終わる。これから私は名古屋に向かうからだ。さて、気持ちを切り替えて読書会を楽しもう!