「自信はどうやったらつくの?」
これは、11/17のイロソフィア・哲学カフェで取り上げられたテーマだ。
テーマが発表された時、良いテーマだな~と思った。私自身がまさに今自信を取り戻したい所だったからだ。
「根拠のない自信」ってワードは哲学カフェ中にも何度か出た。私にとっては読書会を立ち上げる原動力になったものなので、根拠のない自信については肯定的に捉えている。成功するかどうか?それ以前に何をもって成功といえるのか、失敗といえるのか?そんな事知るかとばかりに見切り発車で読書会を始めた。やっていくうちに「あ、私はこういうことがしたかったのか」と気づくことも多々あった。根拠のない自信は経験を積み重ねていく事によって今は根拠のある自信になった。
「自信とは、成功体験である」
哲学カフェで出た意見で、確かにそうだなーと思った。二年経てばやはり幾分か読書会を行うことに対しての自信はついている。初期の頃は読書会当日に激しい音楽を聴いて自分自身を奮い立たせていたけれど、今は聴いていない。安心している。安心しきって遅刻もした。何てヤツだ!とにもかくにも、計100回を超えるほど読書会を行ったことによる自信は、やはり根拠のあるものだろう。
と、書いていてなんだけれども、立ち上げる前から根拠はあったかもしれない←
読書会を立ち上げる前、一年間他の読書会さんにお世話になっていた。そこで色んな事をさせて頂いていた事が、自分でも出来るはずだという根拠ある自信だったのかもしれない。まあ、やり始めたら「これどうするの?どうしてたの!?」ってな事は沢山あったけれども。
まだ何者でもなかった時代も、根拠のない自信はあった。小説家を目指していた時期だ。けれど、これも哲学カフェを終えた今、やはり自分自身の中で根拠はあったように思う。学生時代に小説を書いていたからだ。最後まで書き上げた事は一回もなかったのだけれど「小説を書いたことがある」という事そのものが私にとっては自信になっていたようにも思う。
「自信とは、成功体験である」って話が出た時、私は手をあげたくなった。けれど、あれよあれよと話題が切り替わる早さについていけず、手をあげることはなかった。
私個人としては哲学カフェは3回目の参加であったが、実はこれまで一度も意見を言えていなかった。推し本披露会や課題本読書会の時には自由に発言出来るのに、哲学カフェとなると全く発言が出来なかったのだ。それは何故か。それこそまさに「自信がない」状態だからではないかと、今回の会を通して思った。意見を言って否定されたらどうしよう・・・・・・という不安が先立ってしまうのだ。否定される事を恐れている。何もしなければ否定されることもないから、黙っている。最後にちょろっと発言したものの、これも反論がない安全地帯に身を置いての発言であった。
手をあげる、という行為自体にも私は自信がないようだと気づいた。むしろ、意見を言う事よりもこっちの方が重度な気がした。思い起こせば学生時代、私は手をあげた事がほとんどなかった。先生から指名されたら答えるけれども、積極的に手を挙げて答えを言ったり意見を言ったりした事はなかった。社会人となってからも、誰かに聞かれたら答えるけれども、自分から積極的に何か聞いたり意見を言ったりという事はなかった。この手をあげるという行為そのものに成功体験がないのだ。
面白い。実に面白い。
哲学カフェは私自身にとってリハビリになりえるし、成功体験を積み重ねていけば自信にもなっていくに違いない。まずは手を挙げて、それから考えて発言してみても良さそう。そこから始めてみようと思う。
さて、根拠のない自信じゃなく実は根拠があった私にとっての読書会。けれど、今は再び根拠も自信もない状態になっている。未知の領域に突入しているからだ。私自身が絶対的な自信を持ってアクションを起こす事が出来ないでいる。そんな時に縋りたい根拠のない自信を持ちたくても持てなかったりする。
予測していたよりも参加者が集まらない、定員にならない、というのは他の読書会さんも経験があるのではないだろうか。主催としては非常にハラハラする事案だ。主催都合でいえば募集開始して一日で満席になりました!ってのが一番理想的だと思う。参加される方からするとギリギリまで募集してる方が良いとは思うけれども、募集開始したのに何日も参加申込ゼロの日が続くと、正直なところ当日開催するのが怖くなってくる。せめて、せめてあと一名誰かいませんか?!と叫びたいけれど、焦ってる姿を見せるのは逆効果だったりもする。「勉強しなさい」と言われれば言われるほど勉強しないように、「読書会に参加してよ!参加してよ!」って訴えれば訴えるほど響かない。私の場合まだゼロは経験していないが、それに近い回はあったし、若干トラウマ化している。企画を立てること自体は得意でも、当日となるとさっぱりなのが私だ。当日のトークは参加者の方にほぼ身を預けている他力本願っぷりなので、参加者が少ないと頑張らなきゃなという意識が変に働いてしまって悪循環に陥ってしまう。サポーターさんやリピーターさんには本当にいつも助けて頂いていて、感謝しっぱなしである。
哲学カフェでは、「自信はそもそも必要なのか?」という問いもあった。
これもハッとさせられる問いだった。
予測していたよりも参加者がいなかった、という経験をしてからというもの、ただ漠然と自信がない状態になっていた気がした。初期の頃に縋っていた根拠のない自信から、根拠のある自信に代わったものの、その根拠が覆されて、自信!自信?自信・・・・・・。ぐるぐると縋っていた自信という得体の知れないもの。
読書会を始めた時は確かに必要だったのかもしれないけれど、今は自信というものは必要ないのかもしれない。内的要因だけでなく外的要因もあったのかもしれないし、過去に経験していたからといって次も同じとは限らない。次は何とかなる!と期待を込めて、また再挑戦してみるのも手かもしれない。
なにはともあれ、哲学カフェが終わってからも良い意味でモヤモヤとして、自分を見つめ直せる機会となった今回のテーマだった。今の私にとって非常にナイスタイミングだったのは間違いない。
軌道修正して、再出発していこう!
おわり