最近お会いした方はご存知のことだが、私は超サイヤ人になった。誰か死んだわけではないが、あらゆる対象への配慮を背負投げして覚醒したのだ。
超サイヤ人になった翌日、私は東京にいた。文学フリマ東京37当日である。みんなビックリしていたが、気合は伝わっていた。褒めていただいたことで自己肯定感は増し増しの増し状態で当日を過ごすことも出来た。最高の一日だったといえよう。
問題は職場である。
文学フリマ東京に向けて後先考えず気合いを入れてしまったわけだが、後先考えたら2日後は仕事だった。上司から怒られるんじゃなかろうかとビクビクしながら日曜日を過ごした。月曜日の朝は腹痛に襲われないかなと願い、自身の腹を本気で叩いた。丈夫だった。私の腹部は丈夫だった。
ビクビクしながら職場へと着いたわけだが、これが案外好評だった。職場の美人スタッフ数名から「かっこいい」「おしゃれ」と絶賛された。普段面と向かって言われることはないので、これは素直に嬉しかった。鼻の下が伸び、天にも昇る気持ちとなった。懸念していた上司からも好評であった。そういえば職場にはたくさんの超サイヤ人がいたことを思い出し、私自身もちょっと前まではそうだったじゃないかと思い出した。
以前こんな記事を書いている。
どれも髪の毛に関する話なのだが、私にとって染めたりパーマを当てることは自己肯定感に繋がっている。読書会での振る舞いも変わるので、皆さんにも関係のあることだ。
髪の毛シリーズの前回分「染まる日」は今年の4月に書いている。自覚はなかったが、この時期は意気消沈していたんだなと今更ながらに気付いた。既に読書会は再開していたが、いまだ「のーさん」にはなれず、ギャップに苦しんでいた。黒髪のほうが何かと都合が良い世の中に合わせ、非凡性よりも平凡性を選んでいた。文学フリマに関しても、キックオフ時点で構想したものは実現しなかった。なんだ、やらんのかい、と、それからの私はすねていた。怒るわけでも落ち込むわけでもなく、すねていた。
よくよく考えれば髪の毛をどうしようが影響あるのは職場くらいのもんで、他への配慮は全く持っていらんかったわけだ。黒髪のほうが何かと都合が良い世の中ではあるが、そこに自分を合わせる必要はないわけだ。くそくらえだ、と頭上に唾吐くのが私だ。
オブラートに包んでまろやかテイストに仕上げることが癖づいていたからか、私自身も人当たりの良い人間になっていた。平凡すぎる日常。多少の退屈さには目を瞑り、自身の忍耐と引き換えに得られる平和を享受していた。
事情が変わったのは新人君の登場である。ここらへんは文学フリマ東京37で頒布した『縁に連るれば 品』に書いたので省略するが、新人君は私が忍耐と引き換えに得ていた平和にヒビを入れた。日々感情がささくれだち、それでいて我慢しても我慢しても平和は訪れない。むしろ悪化の一途を辿った。たまたま周囲に恵まれていたから平和だっただけで、耐えることには何の意味もなかったのだ。
追い打ちをかけるように、これまで極力接触を避けていた相手とも接しなければならない状況となった。新人君によって入ったヒビは日に日に広がり、ついに私の脳内にあった「平和」の文字はゲシュタルト崩壊した。
話は変わるが、この記事を読んでほしい。
▶作り手、受け手としての文学フリマ東京37/鋤名彦名(外部サイトへ移動します)
今回の出店は3回目で、初回と比べると本作り自体にアワアワすることはなく、スケジューリングは完璧だった。締切には執筆メンバー全員が初稿を提出した。私は今回全ての原稿をチェックしたのだが、初稿をチェックした時点でこう思った。
みんな本気だ、と。
初稿の時点で、『彩宴3』に寄稿していただいた作品はどれも素晴らしい出来だった。それらを編集メンバーでチェックし、校正・校閲している。表紙デザインも私がラフ案を出しはしたが、それをイメージしていた以上に素晴らしいデザインで作ってくれた。値段を1000円オーバーにしたのは、ページ数が彩宴2の倍以上になったからでも、印刷代が理由でもない。創刊号や2の時以上に自信があったからだ。
私たちが作った本は面白いのだ。
だからこそ、一人でも多くの人に読んでもらいたい。その思いが強くなると同時に、取りまとめを行う身としてはプレッシャーともなった。ネットで公開しているのとは違い、本という形で頒布する以上、全く手にとってもらえなければ一文字すら読んでもらえないのだ。せっかくの本気が日の目を見ないのである。
本自体は早くに脱稿できたため、広報に力を入れることが出来た。しかし、紹介動画を作って公開しても、チラシを作っても、SNSで告知しても、手応えがなかった。出店数が多く当日埋もれることは予想していた。前日までの告知が勝負だと感じていたのだが、私がかけた時間や熱量に対しての手応えは感じられなかったのである。当日、第一陣シフトとなる12:00〜12:40までの方から一冊も売れなかったと聞いて、正直まずいなと思った。このまま一冊も売れないまま終わってしまうんじゃないかという不安がよぎった。結果としては12冊+取り置き1冊となり、二年前とほぼ同じ結果となった。
先日書いた文学フリマのレポートはオブラートに包んだが、包まなければただただ悔しいの一言だ。夜空に向かって「くぞが!」と叫びたい気持ちがある。これだけ面白いものを作れたのに、埋もれてしまったのである。これが試合であれば、惜敗でもなんでもなく惨敗である。
完売を目的にしていたわけではないし、届いている人には届いている。読書会でも頒布するので、これから手にしてくれる人たちもいるだろう。1月には彩宴3を課題本にした読書会も控えている。今後も文学フリマには出店するつもりなので、その時に手にとってくれる人もいるだろう。
だが。
当日までは楽しかったはずなのに、これからも楽しいはずなのに、モヤモヤは止まらない。
それは、1万3000人という多くの来場者がいながらスルーされてしまったことで、これまでよりもよりまざまざと現実を見せつけられたからかもしれない。文学フリマの来場者数が増えれば増えるほど、当日に受けるショックは大きくなるのかもしれない。
創刊号は100部、2は50部、そして今回の3は40部印刷をした。作るごとに部数は減っている。これはシビアにどれくらい手に取ってもらえるかを判断しての印刷数である。しかしそれでも多くの本が残っている。日の目を見ない作品たちが私の部屋で眠っている。
モヤモヤは残っているが、次の一手は打っている。
私が今回単独エッセイ集を出したのは、次の出店を見越してのことである。私が先陣を切らねば他の方がやりにくいだろうからやってみたのだ。彩ふ読書会で初めて出店をすることになった時、費用面を含めて大まかなことを決めていた。今のところAパターンでしかやっていないのだが、実はBパターンで作る方法もある。彩宴のように広く募るのではなく、個人あるいは複数名で本を作る方法だ。私はこのBパターンに可能性を感じている。『彩宴』シリーズはこの先もAパターンでしか出来ないが、新たに書こうと思った人たちの入口となるし、それぞれが好き勝手に書いている点が魅力でもある。その意味でも続けていこうとは思っているが、もしその先に進みたい人たちがいれば、Bパターンを推奨したい。個人で作った本が出てくると面白いなと思っている。
今回の彩宴3の執筆編集参加者は東京の読書会参加者がほとんどだった。大阪も募ってはみたが反応はなかった。このことに実はずっとすねていた私だったのだが、文学フリマ終了後のお疲れ様会のとき、ハッとする一言をいただいた。
東京と大阪で何が違ったのか。
あらかじめ言っておくと、これは読書会を定期的に行っている東京と大阪で比較するだけであって、大阪を非難するものではないし、京都や名古屋、神戸、横浜にも当てはまることである。
東京には参加者有志で作った「彩ふ文芸部」というブカツが存在していた。私が再び文章を書くキッカケとなった場所でもあり、文学フリマ出店を計画したキッカケの一つでもある。
文学フリマの出店先が東京だったこともあるが、彩宴3に東京参加者の多くが集まったのは、やはり彩ふ文芸部の存在が大きかったのだろう。文章を書く人が既に何名かいて、その方々同士が日頃からの交流もあった。私が誘っても「え、いや、やめときます」となることでも、誰々さんから誘われたら「ちょっとやってみようかな」という気分になることは、おそらく皆さんお分かりいただけることだろう(のーさん涙目)
大阪には執筆に関する集まりはなく、文学フリマへの出店経験もなかった。文学フリマ京都への出店を2回ほど計画したものの、コロナの感染拡大時期と重なってしまい出店を取りやめていた。創刊号の時には「読書会の集まりなのに本を作っちゃう」という目新しさもあり、大阪からも参加者は何名かいたが、いざ2回目をやるとなったときにはほとんどの人が離脱した。次も参加するか、とはならなかったのである。
6月の振り返りでも書いたが、私の中では東京も大阪も(京都や名古屋等も)繋がっている感覚でやっていたのだが、そうではなかった。文学フリマ出店を彩ふ読書会全体でやっていたつもりだったのだが、彩ふ文芸部や東京メンバーの力があってこそだったのである。文学フリマ出店というイベントが先にあったわけではなく、彩ふ文芸部というベースがあったからこそ文学フリマ出店が実現したというわけだ。だとすると、今回大阪で「やるぞ!」という流れにならなかったのは自然なことといえる。
そもそもなぜ、文学フリマに出店をするのか。出店に向けて文章を書くのか。
彩宴で書いたからといって小説家になれるわけでもないし、利益を得られるわけでもない。取りまとめを行っている私はむしろやればやるほど赤字である。じゃあ楽しいからやっているのかといえば、もちろん楽しいからやってるのだがそれだけじゃない。
「書く」という行為は、自身の内面をさらけ出す行為である。と、私は考えている。
執筆者自身の背景や思考、経験、知識や情報が少なからず混じる。それをありのままにさらけ出すのか調理するのかは書くものの内容によるだろう。
読者からすると、作品を読めば執筆者がどんな作家やどんな本、作品や芸術を好み、どのようなことに興味関心があるか、どのような影響を受けているかが分かったりする。プロの作家とは交流がないので何ともいえないが、読者と執筆者との間に交流があれば、その人の作品を読むことで普段知ることのない内面を知ることが出来る。
内面をさらけだすと読書会も格段に面白くなる。それは読書会も内面をさらけ出す会であるからだ。推し本紹介であろうが課題本読書会であろうが、自分の言葉で語らなければ面白くない。ネットで評価が高いから、なんて本を持ってきても聞いてる人たちには響かないし、どこぞの誰かが言った言葉を借りて語っても響かない。読書会が面白いかどうかは、どこの会に参加しようとも実は変わりがあるわけではなく、自分自身の姿勢が大きい。斜に構えた態度や気取った態度のままでは楽しめないし面白くないのだ。
そういった観点からすれば、執筆活動というものも、きちんと第三の居場所づくりに繋がっている。書いたことのない人にほど、一度参加してみてほしいなと思っている。
色々と書いたが、文学フリマに合わせてとなると書けない時期も出てくる。そこで、この度、彩ふ読書会ではあの派生コミュニティを再スタートすることとした。
彩ふ文芸部だ。
元々参加者有志で集まっていたものだが、これを装い新たに二つの文芸部として始動する。
東京彩ふ文芸部と、大阪彩ふ文芸部である。
詳細は以下の通り。
執筆活動は孤独な作業である。その孤独を越え、作品を公開したのに反応が何もないのは更に孤独を強める。
そこで、今回は一つのルールとして、マガジンに追加されたものは文芸部メンバーで目を通すこととした。スキやコメントは強制ではないが、閲覧されたというだけでも励みになる。少なくとも私は読書会に参加した人の内面に興味関心があるので、追加されたものには必ず目を通す。ぜひ、臆することなく内面をさらけ出してほしい。
この活動が、あなたの新たな居場所となれば幸いである。