うねるヘアーと増えるサワー

パーマ頭の私は最強である。

髪も染めているので、美容院に行く時にはカット&カラーとカット&パーマのパターンを交互に繰り返している。もう五年以上通っているところなので「いつもの感じで」が通用する仲である。コミュ障の私がよくもまあここまで同じところに通えたもんである。それもこれもスタイリストの方が非常に話しやすい方だからだ。

パーマの私は最強である。

大事なことなので二回言いました。

実は前回、といっても二ヶ月ほど前にはなるがパーマを当てようとした。しかし見た感じまだ先端にパーマが残っているから一回飛ばして良いかもーと言われ、まあまたすぐ行くし良いかと思っていたのだが、それから間が空いてしまって大分パーマ頭じゃないまま髪の毛が長くなってしまった。その間、私の自己肯定感というやつは中の下。その時期には自覚はないんだけども、振り返ってみるとちょっと暗かったな……という感じである。

うねるヘアーでないと、どうもしっくりこない。

やはり私はパーマ頭が良い。カット&カラーを経てからなのでパーマを当てるのは4ヶ月に一度くらいなのだが、それだけ期間が空くと周囲の方々は私がパーマ頭だったことを忘れるようで、毎回パーマを当てた次の日に出勤するとびっくりされる。出来れば容姿うんぬんで突っ込まれることは避けたいところがあり、服装に関しても無難なところで落ち着かせているのだが、「その服良いですね」なんて言われちゃうともう同じ場では着れなくなっちゃうのだ。しかしパーマ頭に関しては別問題で、私の気分が上がるから良いのである。「このサイドのうねりが良いですね」なんて言われるとウフフとなるのだ。女性がネイルする感覚と同じなのかしら。知らんけど。多分。あたいが満足すればそれで良いんだい!

12月の読書会はまだパーマを当ててなかったが、1月の東京からはパーマ頭で会場へと向かった。気分は上々!今のところ進行のほとんどを私がしているので、私のテンションは読書会の雰囲気にも直結する。前回前々回と参加された方は、まず間違いなく楽しんで頂けているはずである。他の回の時と比べたら、参加してくださった方々へ話しかけに行った機会も多かったはずである。なんてったって自己肯定感が上々なんである。断られたってへっちゃらさ~って気分で話しかけることが出来るのは、何せパーマのおかげである。自己肯定感を得続けるためにも、これからもパーマ頭でいきたい。

ハゲたらどうしよう

パーマ頭という自己肯定感爆上がり最強装備が身に着けられなくなったとき、私は一体どうしたら良いのか。年齢が上がるにつれ頭髪が薄くなる問題は、男性諸君には特に切実なる問題である。私もその問題に20代のころから悩まされている。

一時期は毎日のように合わせ鏡をして後頭部をチェックしていた。風呂上がりの抜け毛を数え、突然ごそっと抜けてしまわないか恐怖する日々。精神衛生上よろしくないと思い、今は後頭部を直視しないという対策をしている。美容院でカットした日は後頭部のチェックをせざるをえないのだが、不思議なものでその時にはむしろ増えているような気がする。よくよく観察してみると、スタイリストさんは私がチェックの際にやるような直視型合わせ鏡ではなく、絶妙な角度で鏡を斜め下にやっている。さすがスタイリストである。巧妙な角度だ。そして満足と安心感を得て、カット直後の私は自己肯定感を爆上げすることになる。

読書会を再開すると、必然的に常に精神をすり減らし続けるものと向き合うことになる。読書会の予約状況だ。コロナ前、初めて自分の読書会を企画した時には毎時間いや毎分の勢いで予約状況をチェックしていた。職場でも頻繁に携帯をチェックして支障をきたしていたほどだ。そんなに頻繁にチェックしても劇的に状況が変わるわけではない。そう分かっていてもチェックしてしまうのだ。そして変わらぬ状況に焦り、余計な手を打ってしまったりする。何度か開催するうちにその焦燥感は薄れていたのだが、コロナで一旦休止して再開してからというもの、また再び同じような焦燥感と闘っている。再開して半年経ったが未だに解消出来ていない。神経はすり減る日々だ。これでは髪の毛に潤いをもたらすことは出来ない。髪の毛は減る一方である。

減る一方で増えているものもある。

酒だ。

酒の量が増えている。

一週間に一回だったはずが、今は一日置きになっている。先々の予定をチェックして、この日飲めないから飲んでおこーという日も発生し、二日連続で飲むこともある。さすがに三日連続はやめておこうと今は意識が働いているが、それもいつまで持つか、という感じだ。なんせ糖類ゼロの酒ならば体重も気にすることはない。

体重といえば、8月いっぱいくらいまでは減らしていたが、ここ4ヶ月ほどはキープを続けてきた。標準体重よりも下のラインをキープしていて、たまにドカ食いしてしまうときもあるが、それでも標準体重以上にはならないよう調整出来ている。いやはやここまで続いているのは本当にすごい。ちなみに体重の数値も自己肯定感の基準値の一つだ。

体重は減らせたものの運動はしなかったので肉体美的にはあまり宜しくない感じだ。運動して鍛える段階に移りたいのだが、どーも運動は定期的に取り入れれるタイミングがない。さて、どうしよーかなーと言う感じである。多分そんなことを3ヶ月前にも書いている。あれしよーこれしよーと思ってはいるものの、結局行動に移せないまま日々が過ぎている。最近はちょこざっぷが気になってはいる。普段着で行ける無人のコンビニジム。私のように「ジムに行ってみたいけどガチ勢こわい…」と周りの目を気にして一度も行けなかった人たちのツボをうまくついている。月額料金もお手頃。仕事終わりにふらっと寄れる場所にジムもある。こりゃー行くっきゃない。

先日『時をかけるゆとり』を課題本とした読書会をしたとき、「大人になるとどうしてバカできなくなるのか?」というご意見があった。経験が増えると結果が分かる。無駄、無意味なことをしようとしなくなる。次の日仕事があるからと極力体力を消費しないように時間を過ごす。改めてハッとする部分だった。ただただ馬鹿馬鹿しいエッセイを課題本にして、読書会当日はひたすら笑い転げようと思っていつつ途中から「あ、これどう話持ってこ」と悩んでいたところに鮮やかなパス。これは思わぬ収穫だった。

実際、馬鹿なこと阿呆なことというのは私の中では消えつつある。まあつい最近余計なことを口走って「言い方ってもんがあるでしょ…」と上司から嗜められたりもしたが、それは滅多なことではない。いや、そう滅多なことでもなかったかもしれない。失敗を記憶の底に押しやっているだけで、実際は色々とやらかしてしまっているのかもしれない。

まあそれはともかく、現状維持に徹することなく、結果の分からないことに挑戦していくことはやっていきたいものだ。そしてそのために必要なものは自己肯定感と、そして私の場合は見切り発車であろう。

というわけで。

5月からは読書会とは違う形の新しい場を開催する!!

いつもの私なら翌月から!と言ってそうなところだが、いや、実際はそうしたいところなのだが、4月までは会場も抑えてしまってて、なるべくキャンセルはしたくないのである。

新しい場とは読書教室(仮)である。年始の目標にも掲げたものだが、だらだらとしていたら結局手つかずになってしまっている。このままでは一年経ってしまいそうなので先に日を決めることにする。

読書教室(仮)は、推し本披露会や課題本読書会よりもさらにハードルを下げたものだ。課題本を読まなくて良いし、推したい本を持ってくる必要もない。つまり本を必要としない場だ。

「本を読んでない人」を対象とした居場所であり、従来の読書会とは対象が異なる。

・昔は読んでたが最近は本を読めてない人
・昔も今も本を読んだことがない人
・読書に苦手意識がある人
・読書会はハードルが高いなーと思っている人
・ここ最近一ヶ月以上本を読んでない人
・本読みたいと思ってるんだけどねーと思いつつ読めてない人
・本読まなあかんなと焦っている人

それらに一つでも当てはまる方が対象で、目的としては参加した方々の「本を読むきっかけづくり」である。この読書教室(仮)を通して、本を読もうかなという気持ちになってくれれば私にとっては成功となる。そしてゆくゆくは推し本披露会や課題本読書会にも参加してもらいたい。さらにゆくゆくは自分で読書会を主催するようになってもらいたい。そんな流れを作っていけたらなと思っている。

やってみないと結果は分からない。多分スタイルが定まるまでは「全然読む気にならんがな!」というご批判も頂くことになろう。しかし、それは彩ふ読書会を立ち上げた当初もそうだったのだ。そういった批判も受け入れながら、より良いものを作っていきたい。

この読書教室と、もう一つの形式をもって彩ふ読書会は完成形となる。

あとは気が早いが10周年記念イベントについても考えていきたいと思っている。2017年11月スタートだから開催は2027年11月か。だいぶ先だが、ここに向けて皆と準備を進めていけたらなと思っている。

やはり気になるのはコロナ前に参加してくださっていた方々の状況である。コロナ禍となって読書が出来なくなった、仕事等の環境が変わってしまった等あってなかなか読書会には足を運びにくい方々もいるだろう。けれども、関わってくださった方々のことは気になるもので、あの本を紹介されていた方は最近どうしてるのかなー、サポーターだったあの方は今元気かなーなんてことはちょくちょく考えるものなのだ。読書会がようやく「とりあえず開催する」という段階を脱したので、これから先のことを考えていけたらなと思っている。

そんなところで今日は終わる。