あーこれこれこの感覚だよぉ……な『おいしいごはんが食べられますように』

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日常生活を送っているとき、「あ、あの本のことやなー」と、ふと思い出すことがある。

以前こんな記事を書いた。

O型人間、コンビニ人間

村田沙耶香さんの『コンビニ人間』を読んだあとの感想だ。『コンビニ人間』は第155回芥川賞受賞作である。

この時は『コンビニ人間』を課題本にして読書会を行ったわけだが、読書会が終わってからも長いこと影響が続いた。日常生活を送る上で「普通」という言葉に逐一反応するようになり、私自身の世界観がぐにゃぐにゃっと歪んだのである。

他でいうと『ハーモニー』や『動物農場』、『一九八四年』『蠅の王』『モモ』『仕事は楽しいかね?』『アルジャーノンに花束を』『幼年期の終わり』あたりを課題本にしたときにも日常生活に影響があった。

数えてみたら、課題本読書会はこれまでに119回行っているのだが、毎回そういう風に日常生活にまで影響を及ぼされているわけではない。作中の誰それの行動や心理状態がよく分からん、という話で終わることもあるし、読んではみたものの何も言えねえ……というときもある。読書会のメンバーも毎回同じではないので、話がどう転んでいくかは当日やってみるまで分からない。予測不可能だからこそ読書会は面白いし、たまにこうやって日常生活にまで影響を及ぼしてくる作品に出会えるから、また課題本読書会をやりたくなる。やみつきになる。

振り返ってみると、そもそもの始まりは私にとって『ドグラ・マグラ』だった。彩ふ読書会ではまだ一度も課題本にしていないが、某読書会に通っていた頃に課題本になり、一ヶ月で上下巻二冊を読了した。読んでいる期間は気持ちが沈み、読書会も気持ちが沈んだ状態で臨み、終わったあともしばらく気持ちが沈んでいた。これほどまでに影響を及ぼす作品があるのだということを、人生で初めて知ったのだ。彩ふ読書会でもいずれは『ドグラ・マグラ』を課題本にしたいとは思っているのだが、まだ実現出来ていない。

そんな、日常生活にまで影響を及ぼす本に、再び出会ったんだなあということを、今日は話したい。

先日、こんな記事を書いた。

https://note.com/embed/notes/n268362d42296

高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を読んで読書会を行ったあとの感想記事である。こちらも『コンビニ人間』と同じく芥川賞(第167回)を受賞している。

『罪と罰』を読んでいる最中に味変ならぬ読変気分で読んで、課題本読書会に臨んだ。当日もめちゃくちゃ面白かったのだが、それから20日ほど経った現在、日常生活の場面で何度か『おいしいごはんが食べられますように』のことを思い出すことがあった。

私は万年ダイエッターであり、自分が食べるものに関しては割と計算して食べている。毎朝体重計にも乗っている。1日にどれぐらい食べると翌朝どれくらい体重が増えるか、あるいは減るのか、大体把握できている。基本的には自分を律することができている。

減量期はちょっと過激なところまでいっていて、家族含め周囲にも「ダイエット中なので」と公言し協力を得ていた。基本、自分が食べたいもの以外は口にしないようにしていて、周囲から何かをすすめられても全て断っていた。次第に気を遣われて食べ物を無闇やたらとすすめられないような環境になっていった。

今は減量期は終わってキープし続けている時期なので、ある程度減量の要素も残しつつ、普段の生活を行っている。酒も飲む。基本的には自分を律することが出来ているので、増えたり減ったりしつつもキープし続けている。

ただ、減量期と違ってダイエット中だと公言していないので、周囲からめちゃくちゃ食べ物をすすめられる。すすめられるというか、食べることはやはり基本的には「当然」のことであり、おいしいものは「正義」なのだということを突きつけられる。

私自身も、基本的には律することができているが、酒を飲むとリミッターが解除され爆食いしてしまうことがある。体重が爆増したときは数日かけてリセットするのだが、なかなか出来ない時期もある。毎日毎食、自分が食べたいものだけを食べれるわけではないからだ。家族で暮らしていると、家族揃ったときには同じものを食べるし、急遽外食になることもある。

たとえば前もって分かっている飲み会だったりすれば、数日かけて調整をしておいて当日存分に楽しめるようにするのだが、不意打ちで食べ物をすすめられることがあったりすると、断りにくく食べるしかない。相手にも悪意はないし、ただただ自分の都合ではある。そういったもやもやっとした感情をこれまでは処理できずにもやもやっとしたまま放置していた。しかし、ここ20日間ら『おいしいごはんが食べられますように』の二谷が浮かんだ。しかも、たった20日間でも、そうした機会はたびたびあった。

あーこれこれ、この感覚だよぉ!!

これまでにもこうした機会はたびたびあったわけだが、上手く言語化もイメージも出来ていなかった。それが、『おいしいごはんが食べられますように』を読んだあとだと、二谷が浮かぶようになった。「あー、このときの二谷の気持ちって、こんな感じだったのかなあ」なんて、読書会も終わったあとになって今更ながら思ったりする。

こうした感覚は、何も読書会をやったからこそ得られたものというわけではないだろう。本以外にも得られる経験ではある。たとえば仕事中やプライベート中に誰かと関わってもやもやを抱えて、数年後に解消できることもあるだろう。ただ、小説だからこそ、誰かに対して気遣う必要もなく、誰かを傷つけることもなく、手っ取り早く一人で疑似体験できる。そこに読書の良さを感じるし、私自身が抱えたもやもやを解消しようとした場合、やはり執筆という手段に頼るだろう。リアルに書くと誰かを傷つけることもあるからだ。

沢山読んできたわけではないが、『コンビニ人間』や『おいしいごはんが食べられますように』のように芥川賞や芥川賞候補作となった作品を読むと、自分以外の誰かの思考や行動の理由を知ることはできるのかもしれない。

いやー、『おいしいごはんが食べられますように』良いよ!!大阪では10月の課題本にさせてもらった。まだ日程調整中だが、この本を読んで是非とも皆にももやもやを抱えてもらいたい。

以上、終わり。