こんにちは。のーさんです。
2024年からはnoteを本格的に使用しています。
推し本紹介やコラムはあちらで更新していますので、良ければフォローをお願いいたします。こちらの記事は、noteが使えなくなった場合に備えた記録用です。
noteのアカウントはこちらです。
ののの@彩ふ文芸部(彩ふ読書会)
https://note.com/iro_doku
ストライダー遠征記 名古屋編である。
前編にあたる三重編はこちら(ストライダー大会参加までの話です)
https://note.com/embed/notes/n4373195b7271
2日目、いざ大会へ
2日目。この旅行のメインであるストライダーの大会当日である。私たちにとっては5月の大会のリベンジだ。しっかりと準備をして会場へと余裕をもって向かった。
ところが、である。
タイムスケジュールが変更となっていたことに私たちは気づいていなかった。ホームページに記載されていた予定よりも開始時間が1時間以上遅れていた。参加人数によってタイムスケジュールの変更があることはお知らせされていたのだが、うっかりチェックしてなかったのである。ホームページの最新情報にはしっかりと書かれていた。まさかのチェック漏れであった。「予定が早まっていて参加出来なかった」とならなかっただけ幸いだったが、炎天下の中、1時間増えた自由時間をどう過ごすかが問題となった。大人だけなら十分に待てる時間だし、私一人だけなら「うっひょー!読書読書!」となるが、マイキッズにとっては永遠とも思える待ち時間である。結果、広場の近くにある公園で遊ぶことにした。
水のエリアというところで、じゃぶじゃぶできる池があり、多くの子どもたちが水遊びをしていた。濡れてしまったら着替えが発生するので濡れないようマイキッズには伝えて本人も意識はしていたものの、しゃがんだ拍子にズボンが濡れた。着替えは用意していたので問題はなかったが、遊んで着替えていたら今度は時間が迫ってきた。あれ、デジャヴ……?5月の思い出が蘇る。急いで会場へ戻ると、子どもたちは既に試走を始めていた。わたわたとプロテクターなどつけてコース入口へ向かう。
ここで私は致命的な判断ミスをした。
暑いから手袋はいらんやろうとつけずに行ったら、スタッフから止められてしまったのだ。急いでテントまで手袋を取りに行って戻ると、試走の時間は終わってしまっていた。ルール説明が始まり予選が始まる。やっちまった……名古屋まで来て、コース試走しないまま本番が始まった。
マイキッズは真剣な面持ちでルールをしっかりと聞いていた。まだ呼ばれるまでは時間があったので、スタート練習だけ何度か行う。順番となり、ついに始まった。マイワイフがマイキッズに付き添ってコースへ。私は撮影のためコース外でスタンバイした。
「Ready Set GO!」という合図で子どもたちが地面を蹴って走り出す。芝生なのでスピードは出にくいはずだが、早い子はめちゃくちゃ早い。やはりマイキッズは後ろから数えた方が早い順位で、今回も転んだ。ただ、すぐに立ち上がり、何人か抜いてゴールした。マイキッズの中では3位だった。
敗者復活戦にも参加。マイキッズはまたもや後ろから数えたほうが早い順位だったが、今回は転ぶ子が多かった。巻き添えにはならず、転んだ子を追い抜いてゴール。受付にいって全員がもらえるメダルをもらい、終了。
無事に終わった……私はほっとした。マイキッズも泣かずにやりきった。レースが始まる前は焦ったが、そんなことも含めて私にとって思い出深い大会となった。
レースが終わり、次は名古屋パルコへ。矢場町駅付近なので人通りは多い。私の知る範囲にはなるが、三ノ宮駅周辺を車で走るような感覚である。かなり気を遣う。街並みの雰囲気としては心斎橋あたりだろうか。名古屋パルコの駐車場の入口が分からず何度かぐるぐる回ったが、何とか停めることが出来た。
「わんだふるぷりきゅあ!」のショップに着くとマイキッズは大興奮だった。グッズ一つ一つを見て何を買うか悩み、スタンプやシャボン玉を買って店を出た。
時間的にスイーツには遅いし夕食には早かったので、どちらも食べれるスイパラに行くことに。スイパラは関西にもあるし、せっかくなら名古屋めしを楽しみたいところだったのだが、炎天下で過ごした時間が長かったこともあり3人とも疲弊していた。疲弊した体にはやはり甘い物である。
スイーツパラダイスは2回目、以前行ったのは7、8年前だっただろうか。店内はほぼ女性だけで若干の気後れ感はあったものの、カレーを食べてケーキを食べてゆっくりと過ごすことが出来た。
最後はおみやげの購入だが、矢場町駅付近を走るだけでだいぶ大変だったので、名古屋駅周辺を車で走るのはなかなかきつそうだ……ということで気乗りしなかった。名古屋パルコから車で10分くらいのところに世界の山ちゃんの本店があることが分かったので、名古屋駅周辺はやめて山ちゃんだけ最後に買って帰ろうかとなった。その前にガソリンスタンドで給油してから世界の山ちゃん本店を目指すこととした。
さて、タイトルにもしたようにここでこの旅最大級の問題が起こった。
これまで正確な情報で我々を導いてくれていたカーナビが、突然狂いだしたのである!
なんだ、一体どうしたんだ?!
いきなりヒュンッ!と隣の道に矢印が移動したかと思うと、しばらくして元に戻る。戻ったと思ったらまた変な方向に動く。ということを繰り返すナビ。自分が今どこにいるのかが途端に分からなくなってしまった。他に地図帳などは用意していない。スマホに入れていたカーナビアプリだけが頼みの綱だったのである。
幸い後続車はなかったので、一旦停車してナビをセットし直す。深呼吸を一度する。しかし、やはり矢印のヒュンッは止まらない。
焦ったものの、この感じには既視感もあった。
以前、とある場所を走ったときにもこのようにナビが狂ったことがあったのだ。三ノ宮まで向かう途中の道である。高速道路の下の道を走っていると、ナビは車がどちらを走っているのか判断がつかなくなるのか、急に狂いだすのだ。その時も焦ったが、今回狂ったのも高速道路の下を走っていたときだったのでピンときた。
慣れない道でカーナビが狂うとどうしようもない。信号三つ目を右に曲がって次も右というところまでは覚えていたので、ガソリンスタンドで給油は出来た。ただ、依然としてカーナビは狂っていた。初見殺しの高架下にはまってしまった私たちは、最後の最後におみやげを諦めて帰ることにした。さよなら、山ちゃん……。
高架下を抜けるとカーナビは正常に戻った。
帰りの高速で
全ての行程を終え、あとは帰るだけとなった。既に辺りは暗く、帰宅予想時間は2時間半後の22時。暗いためバックミラーには何も映らず、マイキッズとマイワイフの様子は分からない。
車を走らせながら色々と考える。途中右に曲がったり左に曲がったりする必要はあるが、高速に乗ったらほとんど直線を走るので、走りながら考え事は出来るのだ。
今回の遠征を振り返る。
様々な初見殺しにはあったが、普段ならばイラッとするところでもイラッとしなかった。おそらくスケジュールをガチガチに組んでいなかったのが良かったのだろう。時間に追われると焦ってイライラしてしまうものだが、今回は大まかな予定はあるものの柔軟に予定を変えることが出来たこともあり、ほとんど時間に追われることなく過ごせた。
これまでの経験によってカバーできていたこともある。ジャンボ海水プールを楽しめたのは、市民プールに何度も行って準備などの流れが掴めていたからだ。ストライダー大会についても、5月の反省点を活かせた形だ(試走できなかったのは悔やまれるが……)。初見殺しの高架下で焦りすぎなかったのも、三ノ宮に行くときに既に経験していたからである。
年齢関係なく出来ることもあるけれど、そのときだからこそ出来る・楽しめることもやはりあるように思う。ジャンボ海水プールにいた若者たちのような時期を、私は過ぎてしまった。彼ら彼女らの詳しいことは知らないが、仕事やパートナー、生き方などまだいくつもの事柄が不確定な時期という部分は、ほとんどの若者に当てはまることだろう。そのような時期に私自身が戻ることはできない。これまでに培ってきたものがあり、容易に手放せなくなってしまっている。また、全てをリセットしたい衝動に駆られることはあっても、過去を全て消し去ることが出来るわけではないので完全リセットなどはありえない。私にとって若者たちは羨ましい存在なのだと改めて認識した。ただ、羨ましいからといって戻りたいわけではない。今の私だからこそ出来ること、楽しめることもあるからだ。
マイキッズのストライダー好きがきっかけとなり今回の遠征は決行された。マイキッズがいなければ名古屋に行くことはなかっただろう。名古屋だけでなく、自分自身だけの人生では経験することのなかったことを、マイキッズを通して経験してきている。マイワイフに関してもそうだ。仕事仲間や読書会で出会ってきた人たちもそうだ。私一人だけならば、家で延々とぐうたらしていたであろう。元々人は好きだが人見知りで関わることに億劫なタイプなのだ。周囲の人たちによって様々な経験をさせてもらっている。
高速を走っていると、いつしかマイキッズは寝ていた。マイワイフと運転を替わるつもりだったのだが、サービスエリアで交代しようとするとマイキッズがすぐにモゾモゾしだして起きそうになったたので、結局全て私が運転することになった。
少し眠気も出てきたので椎名林檎の曲をかけてもらう。『歌舞伎町の女王』や『ここでキスして。』など90年代後半の歌を聴き、そのころ自分は何してたっけなとか、この歌を始めて聴いたのはカラオケだったな、なんてことを思い出す。マイワイフに再生をお願いしてBluetooth経由で車内に流してもらっていたのだが、いつしか90年代〜00年代の音楽に変わった。自動再生に切り替わったのだ。椎名林檎の曲をリピート再生してもらうようにお願いしていたのだが、マイワイフも寝たようだった。
車でこれだけ長距離、しかも家族での旅行は初めての経験だった。やはり慣れない場所での走行は相当疲労していたようだ。見慣れた場所までやってくるとホッとした。このホッとする瞬間も、もしかすると旅をすることの一つの楽しみ、一つの醍醐味なのかもしれない。
マイキッズがこの年になるまでは大変で色々と制限も多かったが、これから徐々に出来ることも増えていくだろう。私自身が楽しむということも忘れずにこれからも色々とやっていけたらなと思っている。
翌日。
体重計に乗った途端、日常に戻った。この2日間の暴飲暴食で体重が激増していたからだ。
これからしばらくは節制生活が待っている。
おわり。
以上をもって、三重編・名古屋編に分けた「ストライダー遠征記」のレポートを終了する。
遠征の二日間、執筆のことは一切考えなかった。群像新人文学賞の締め切りは近づいているので、焦らないといけないところではあるが、丸々二日間をリフレッシュする日としたのだ。そして+1日はこのレポートを書く時間に当てた。ほぼ1万字書いてしまったので、文学賞のほうで書いていたら原稿用紙換算で25枚分ほど書けていたじゃないかなんて思ったりもしたが、書き方も違うし気分転換にもなったのでこれはこれで良しとする。
以上!!
では、また!!