何かを起点にするということ

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何か好きなことが一つあると、そこから世界が広がることがある。

嵐が活動をしていた頃、私は妻とともにコンサートに行ったり、嵐が出演しているテレビ番組を観たりしていた。KinKi KidsやらTOKIOやらV6やら、それまで何気なく観たり聴いていた存在を「ジャニーズ」というくくりで気にするようになり、嵐以外にもジャニーズが出ている番組を追ったりしていた。

その流れでサマソニに行ったことがある。
サマソニは自分とは無縁の世界だろうなと思っていた。そんな世界と私を繋いでくれたのは、サマソニにTOKIOが出演するというキッカケがあったからだ。
慣れない場に緊張はしまくったが、今でも鮮明に思い出せるほど当日は熱気に包まれた。テレビで観ていた人たちが目の前にいる!とかなり興奮した。距離がかなり近かったのだ。私は周りの人たちとともに一体となって声を上げた。「サマソニにTOKIOが出演する」というキッカケだけだったとしたら、多分私は行ってなかっただろう。嵐、ジャニーズ、TOKIO、サマソニという要素が私の中にあったからこそ、キッカケがキッカケとして機能したといえる。

嵐を起点にして広がったものは様々ある。サマソニだけでなく、彼らが出演したドラマからいわゆる聖地巡礼のようなことだとか、バラエティ番組で食べていたものを食べてみたりだとか、そんなことをやっていた。一つの好きなことから興味の幅が広がっていたのだ。

私にとって本を読むという行為も、起点の一つだ。読書会に参加したり、読書会で知った本に興味を持ったり、参加した方々の趣味から興味を持ったり。

本を読んだほうが良い!と言いたいわけではない。けれど、自分自身にとって起点になるものを探してみることは、少しばかり意識してやってみても良いかもしれないなと思う。そこから広がるものは、そのあとの人生において何かしらの豊かさを自分自身にもたらしてくれるのではないかなと。

そんなふうに真面目なことを書いて今日は終わるまる。