懐かしい写真

思いがけない所で昔の自分と出会った。

その時の私は屈託なく笑っていて、皆と一緒にピースをしている。今の私は上手く笑えなくて、写真が苦手なのだけれども、その写真ではそれはそれはもう今では考えられないくらいに楽しそうにしている。実際、楽しかったと記憶している。責任を負う事もなく、楽しい時間を一緒に楽しむ。それが仕事だったからだ。

10年ほど前の写真だった。

徐々に仕事の責任は増え、純粋に楽しむだけとはいかなくなった。楽しい時間を一緒に楽しむ事が仕事の一つではある。けれど、それは若手の仕事だ。中堅になってしまった今は若手の彼らが動き回りやすいように動くことが仕事の比重をしめている。「楽しい」が「楽しい」ままで終われるように、起こりうる事故や危険に気を配る。楽しいと思って続けていた仕事だけれど、若手の頃の自分が楽しんでいた裏では、その頃の中堅やベテランのサポートがあったのだと、その立場になって気づいた。

5年ほど前に作ったものも出てきた。
任されたものを、求められる以上のクオリティで作ったものだ。配る相手に楽しんでもらおうという気持ち半分と、自己満足が半分。来年担当する人のハードルが上がってしまうので、自分の色を出す事はぶっちゃけあまり評価されない。けれど、当時の私はそんなん知るか!と職場で息巻いていた。

休日の時間全てを使って作ったもの。作って満足して捨てたもの。その存在すら自分で忘れていたもの。それが、配った相手の家から出てきた。思いがけない所というのは、そういう意味だ。

残してくれていたのだ。

私が時間をかけて熱量を持って作ったものは、ちゃんと伝わる人には伝わっていた。そのことを先日知り、嬉しくなったと同時に今の自分が恥ずかしくもなった。今は自分の色というものをとことん消している。あくまでも事務的に接している。だから、笑えないんじゃないか?

全力でやっていた事が、自分の道を作る。あの頃にあれだけの熱量があったからこそ、今の私を見ても信じる人は信じてくれている。かといってやる気を出すと、出る杭は打たれる状態ではあるのだった。現実的に難しい状況でもある。私のもやもやはまだまだ続きそうではある。

ただ、表面上は変わらずとも。

内面には久方ぶりに火が宿った。その火を消してはならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

心に火を。

 

 

 

 

 

 

直火珈琲FIRE