救いたい守りたい助けたいなんて、おこがましいにもほどがある

居場所作りをコンセプトにしておきながら何だけれども、私は誰かを救いたいとか、守りたいとか、助けたいって気持ちは「おこがましいにもほどがある」って思ってる。

特に守りたいって言葉は上から見ているようで気に食わない。同様に、◯◯してあげたいって言葉も好きじゃない。かわいそう、という言葉も毎回ひどく違和感を覚える言葉だ。使う側は無意識だろうけれども。もちろん、自分と相手の関係性によってはそれが当てはまる場合もあるだろうし、仮にその言葉を禁止したところで、じゃあ代わりになる言葉はなんだって言われたら思いつかないんだけれども、何だかこれらの言葉を使ってしまうこと自体に傲慢さがあるじゃないかなあと思ってしまう。

誰かを救う事など出来ないし、守る事など出来ないし、助ける事など出来ない。目の前で困っている人に手を差し伸べる事は出来るだろう。けれど、それは一時的なものである。見えない所で同じ事を繰り返しているかもしれないし、もしかするとその人自身で解決出来た事かもしれない。手を差し伸べることが本当に救う事になるのか。あ、精神的な話ですけども。もし本当にその人を救って守って助けるのならば、自分の一生をかけてその人と共にあらねばならないのではないか。自分のためではなく、その人のために人生を捧げる。いやー、無理でしょう。
自分には自分の人生があるんだもの。

誰かに頼り続けるのではなく、自分で乗り越える力を身につけることが大切なんではないかな、と思う。その支援をすることは、必要なのではないかなと思う。

ただーし!そう突っぱねるものでもないとも思うのである。毎回お前はどっちやねんって話ではあるけども、どっちとかではないのだ。上のように感じる時もあれば、そうじゃない時もある。相手にもよる。時と場合にもよる。

自分で乗り越える力を身につける事は、一朝一夕で出来るものではないんじゃなかろうか。ならば、一時的にせよ、救ったり守ったり助けたりするのは、たとえおこがましいにもほどがあろうが、やはり必要なのだ。そういう人間も、必要なのだ。自己満足に陥らないよう注意が必要だとは思うけれども、ね。

異世界転生したら世界を救おう。君にはきっとそのスキルがあるはずだ!

……何の話や!

おわり