飲み会の夢を見て何コレフフッてなった話(脚色あり)

夢の中で私は飲み会を開いていた。

居酒屋ではなく、キッチン付きの広いスペースをレンタルして自分たちで料理や酒を用意する形だ。

そこで私は幹事をしていた。しかしどうやら役割分担表を作っていなかったらしい。その場でパソコンを開いて役割分担表…具体的には誰がどの時間帯調理を担当して、どのタイミングで交代するかのシフト表みたいなものを作ろうとしていた。誰もが均等にその場を楽しむために、当番制をしこうとしていたのだ。

しかしあーでもないこーでもないと悩んでいるうちに時間は過ぎてしまい、シフト作成が間に合わないまま飲み会は終わった。一人になったあとも黙々と、既に無駄になった作業を続けながら私は落ち込んでいた。そこで目が覚めた。

普段夢を見ることがないのだがすぐさまスマホを開きメモした。とはいえ、夢自体断片的だし寝ぼけながらのメモだったので、上に書いたものは二度寝のあとに脚色を加えたものである。断片的なものを繋げてみたらだいたいこういう話だったというわけだ。

夢から目覚めたとき、私は「何コレ?」と思いフフッとなった。

夢の中でまで落ち込むんかーい!

と、夢の中の私につっこんだのだ。

夢の中の私はまさに私だったのだが、視点としてはそれを隣から見ている感じだった。そういう視点だったこともあり、客観的に自分自身を見ていたのである。

職場の人も読書会の人もいてごっちゃごっちゃなので現実にはありえないメンバーが揃っていたのだが、妙にリアルさはあった。

職場でもレクリエーションや旅行の企画など段取りをすることが多い。読書会では主催をしている。ほとんど毎日何かしらの計画を立てるような日々だ。考えることは嫌いじゃないので苦ではなく、むしろ楽しんでやっている。

しかし、だいたい計画通りに行くことはない。パーフェクト!と手放しで自画自賛出来ることはほとんどなく、少なくとも2、3点は反省点が見つかる。出来た方よりも出来なかった方に目が向いて落ち込む。たとえ出来た方の割合が高くても、だ。

そんな自分を客観的に見るのは奇妙な感覚だった。他人になってみると、「そんなことで落ち込まなくて良いのに」なんて思ってしまった。

朝井リョウさんのゆとりシリーズ第三弾にして完結編『そして誰もゆとらなくなった』には、朝井リョウさんも計画を立てるうちに空回りするという内容のものがある。

お偉いさんの集まる講演会の依頼があり、パワポで発表原稿を作ることになった。聴衆者的に小説の話なんて誰も聞かないだろうと思った朝井リョウさんは、退屈させまいと小説の話の合間に耳寄りな健康情報を挟み込んだ。当日、意外と小説の話を皆熱心に聞いてくれて、耳寄りな健康情報が浮いてしまうのだった。しかしガチガチにパワポで資料を作ってしまったため飛ばすことも出来ず、聴衆の皆さんの頭の上に定期的にクエスチョンマークを植え付けるという事態になった、という話だ。

笑い話だが、私も似たようなことをやっているのでアイタタタとなりながら読んで笑った。あくまでも他人事だから笑える。

想定外のことは必ず起きる。なのに計画段階では余白を作っておくほうが良い。それは分かっているのだが、あれもこれもとつい欲張ってしまって空回りしてしまう。これからも計画は色々と立てるつもりだが、失敗を繰り返すんだろうなあと確信している。

しかし、しかしだ。少なくとも失敗の経験は多く積めている。反省ばかりの日々ではあるが、そこに「やらなきゃよかった」なんていう後悔はない。同じ失敗を繰り返さないよう、より考えていくばいい。それだけだ。

そんなことを朝から思った日であった。

それにしてもそろそろ脳から直接文字起こししてくれんものかしら。考えていることを文字にする作業が追いつかないほど思考が回っていると、文字を打つのが煩わしかったりする。音声入力も面倒だし、もう頭の中直接文字起こししてほしい。SFの世界ですなあ。

まあ頭の中を常に文字起こしされたら困っちゃうけども。キノの旅でも住民全員が人の心が読める町ってのがあった気がする。確か読めてしまうのが嫌になって皆家から出なくなっていたような。うろ覚えだけど、頭の中を常に文字起こしされたら同じようなことは起こりそうだ。そんなところで今日は終わる。