今、Netflixでは「水曜どうでしょう」が配信されている。タイトルは知っていたけれど見たことはなかったので早速視聴してみた。番組内容についてはウィキ先生なりで調べて頂くとして、私が一番印象に残ったのはサイコロの旅であった。東京から札幌に戻ることを目指す企画で、行き先はサイコロで出た目によって決まる。出た目の場所に行かないと次のサイコロは振れない。出た目によっては遠くへ行くこともある。出演者の二人をあざ笑うかのように、サイコロは四国や九州の目を出したりなんかしちゃったりして、なかなか過酷な旅である。
サイコロの旅を見ていて思い出したのだが、東京で読書会を始めたころは深夜バスをよく利用していた。大阪から深夜バスに乗る場合、21時半〜23時くらいが乗車時間で、東京に着くのは6〜7時。読書会会場は10:00から予約していたので東京に着いてから3、4時間ほどの余裕がある。その間何をしていたかというと、VIPラウンジというところで時間を潰していた。VIPライナーという深夜バスを利用すると使えるサービスだ。ラウンジには椅子と机があり、トイレもあり、シャワーも浴びることができる。私は席に座って携帯を充電しながら本を読んでいた。若干うろ覚えだけれども、大体その日に紹介する予定の推し本を読み返したり課題本を読み返したりしていたはずだ。読書会会場までの行き方を検索して、逆算して間に合うようにラウンジを出る。そして読書会を終えたら少しぶらぶらとして新幹線で帰る。帰りが新幹線だったのは、翌日に仕事だったり予定が入っていたりしたからだ。行きは深夜バスで帰りは新幹線。これが東京読書会初期のころの私の移動手段であった。東京読書会は0泊2日のちょっとした旅であった。
寝坊が一番心配の種だったので、寝ていても体を運んでくれる深夜バスは最良の選択だと思っていた。しかし、あれは若いからこそ選択できる手段であった。体力と根性だけで何とかしようとしていた。深夜バスは眠れない。普段の私は一度寝たら朝まで起きないタイプなのだが、深夜バスではちょいちょい起きてしまう。休憩所に到着したときのアナウンスでは毎回起きるし、何もないときにでも起きてしまう。これがなかなかつらい。ようやく深い眠りに入ったかなというタイミングで起こされる。睡眠が十分でないため、東京読書会初期のころは100%のパフォーマンスが発揮できなかった(ということにしておこう)
それでもしばらく続けていたが、ある日何を思ったか行きも帰りも深夜バスという行程を組んでしまった。日帰りなので同じ日に深夜バスに2回乗るということだ。これにより、実質的に0泊3日という弾丸ツアーへと変貌した。読書会のときだったか、個人的に舞台を観に行くときだったか定かではないが、今にして思えば狂った行程である。深夜バスで受ける疲労度は大体こんなもんだろう?大丈夫大丈夫!と得意げになっていたのであろう。
行きの深夜バスで既に満身創痍となっていた私は、帰りの深夜バスで地獄を見た。まるでゴールド・エクスペリエンス・レクイエムをくらったかのように全く時間が進まないのだ。眠れもしない。車内は暗いので読書も出来ない。携帯は見ると酔う。時間潰しができない中、バス前方にあるデジタル時計の数字だけを延々と見る。なんて馬鹿なことをしてしまったんだと後悔した。後悔したところで、一度乗り込んでしまったバスを降りることはできない。私はもう二度と行き帰り深夜バスだけはすまいと心に誓ったのであった。
そんなことを思い出しながらも、サイコロの旅を観ているとゲラゲラと笑っている自分がいたのであった。二人は2日連続深夜バスどころか、常に移動し続けている。着いた先で観光を楽しむことは滅多になく、すぐさまサイコロを振って移動を繰り返すのだ。深夜バス、新幹線、フェリー、ヘリコプター、トロリーバスなどなど……。自分が同じ目にあったらたまらんと思いながらも、一視聴者として見ている分には面白かったのだった。
さてさて、話は変わるけども、9月20日は『彩宴2』の原稿締切日だった。
『彩宴2』とは、我々が文学フリマ東京で新刊として出す予定の本である。
ここ最近音沙汰がなかったのは、この執筆にあたふたしていたからであった。いやはや、なんとか正念場を乗り切った。乗り切ることができた。今回は余裕だろうと思っていた。なんせネタは5つあったのだ。恋愛ものに異世界転生もの、エッセイ、家族もの、コメディものの5つ。前回はネタを捻り出すのに苦労していたので、これだけ揃えていれば大丈夫だろうと高をくくっていた。しかし、締切一ヶ月前になっても重い腰はあがらず、9月になってもまだあがらなかった。なぜだ!焦り始めて冒頭だけでも書いてみる。書いては消し、書いては消しで一向に進まない。唯一さらさらっと進んだはずのエッセイも、何だかしっくりこない。私は愕然とした。ネタがあっても書けないのでは意味がないじゃあないか。
悩みに悩んだ末、私は5つ全てを諦めることにした。一度頭をまっさらにしようと思ったのだ。5つのネタはいずれどこかで書くことにはなるだろう。しかし、今ではなかったのだ。そう思い込むことにした。頭をまっさらにし、今書きたいものは何かを自分自身に問う。そうして浮かび上がってきたのが今回の作品だった。書き始めるとさくさくと進み、何とか締切には間に合った。まだ修正を加える必要はあるし、入稿したわけじゃないので、本が出来るまでにはまだまだ時間がかかるけれども、ひとまず産みの苦しみからは解放された。ホッとした、というのが正直な話である。締切日当日は続々と原稿があがってきていて、今回もも全員締切は守るという素晴らしさだった。日付が変わる10分前、最後に原稿を提出したのは私だった。実は23日も祝日だしそこまで伸ばしちゃっても良いんじゃなかろうかと思っていた。しかし、続々とあがってくる原稿。やばい。私一人だけ伸ばすなんてことは許されない(というわけでもないんだけれども)私は焦った。焦りに焦った。まあ日頃焦ることがほとんどなくなったので、この緊張感は心地よいものであった。そういえば私はドMであった。そんなことすら忘れかけていたのだから、スリリングさを味わうというのは決して悪いことではなかろう。私にはスリルが必要なのだ。
原稿もそろったので、私以外の7作品を読ませて頂いた。今回も非常に面白い作品ばかりだ。ぜひ、期待していただきたい。
ところで、創刊号の彩宴、彩宴2と原稿を書いてみて、ふつふつと湧いてきた気持ちがある。それは、私は自分自身の描いてきた夢に対して、本当に挑戦してきたのか?ということだった。
10代のころ、私は小説家になりたいと漠然とした夢を描いていた。ところが早々に見切りをつけて、私はそれから流されに流されて生き続け、現在に至る。ちょうど前回の課題本だった『バッタを倒しにアフリカへ』にも出てきたが、夢を追うにせよ追わないにせよ、日々の生活はあるわけで、生きるためには生活費を稼ぐ必要がある。親元を離れた以上、自分で家賃も光熱費も支払わなければならなかったし、そのためには働かなければならなかった。仮に小説家になったとしても収入は不安定であることに気づいてしまった私は、こりゃ無理だと諦めた。
しかし「小説家になる」という夢は厄介なもので、実は死ぬまで目指せる夢である。年齢制限がない。一度この夢を抱いた人間は、口では諦めると言ったとしても心のどこかで夢想してしまうのだ。自分が小説家になっている姿を。逆に考えれば、何かしら辛いときがあってもifの自分を夢想することで、私はこれまで何とかやってこれたのかもしれない。宝くじを買ってもいないのに宝くじが当たる予感がするように、いつか小説家になれるんじゃないかと応募してもいないのに予感がしている。果てしなく夢想家なのであった。そんなことを文学フリマ東京出店計画を通して考えた日々であった。
来年は彩ふ祭2022という年間イベントを計画している。これは彩ふ読書会5周年、彩なす家オンライン読書会1周年を記念するイベントではあるが、まだ読書会に参加したことのない方にもぜひ参加していただきたいイベントだ。何をやるのかはお楽しみとしておきたいところだけれども、いろんなことをやろうと思っている。妄想は膨らんでいるのだが、私はこの中に一つ、チャレンジ企画を入れてみようかなと思った。それは、「長編を書いて新人賞に応募する」ということだ。
上に書いたように私は夢想家で、小説家になるという夢も諦めたんだか諦めてないんだかどっちやねんではあるが、ノリで改めて応募してみるのも面白そうだなと思った次第である。とはいえ、私のぐうたら性格ではずるずるとやらずじまいになる。確実にそうなる。なので、彩ふ祭2022に加えて進捗報告をすることで逃げ道をふさいでおこうかなと思っている。プロットは既に頭の中に出来ている。あとは書くだけだ。うん、書くだけなのである。おわり。