妄想の第三章

3 min

私は私の書きたい事を書いていこうと思う。

おっぱいの記事だと思ったら大間違いだぜ!いや、それも書きたかったけども!というか書いてアップしてるけども!今後の事も書いておこうと思った次第。幸か不幸か考える時間が出来たのでね!突っ走っていく時間も良いけども、ゆっくり考える機会もやっぱり大切ですね。

 

以前こんな記事を書きました。

▶彩ふ読書会誕生から二年経ちました

ここに書いた通り、ワタクシ「ののの(のーさん)」個人にとっては、ゲームサークルが第一章、彩ふ読書会が第二章という位置付けです。第一章のゲームサークルは残念ながら離れてしまいましたが、第二章の彩ふ読書会については今後も続けていくつもりです。その上で、第三章はあるのかないのか。直接的な支援にシフトしていくのかいかないのか。上の記事を書いた時点では分かりませんでした。まあ大体いつもそんな感じなんですけれども、もし第三章をやるのならばどんな事をしているのかな~と、ここ最近ぼんやりと考えていました。

彩ふ読書会ではとんでもなく沢山のものを頂きました。私自身が孤独ではなくなった事が何より一番大きなことです。ゲームサークルとはまた違い、実際に顔と顔を合わせる事で生まれてきた事も沢山ありました。「何かをやろう!」と思ったら「とりあえずやってみましょっか」と言って下さる方、実際に参加して下さる方が沢山いてくれてます。好き勝手な記事も書かせてもらっています。孤独ではなくなり、自信になったからです。課題ももちろんありますが、彩ふ読書会でならば何でも出来るな!という気持ちが強いです。

それを踏まえた上で、そもそものコンセプトとしている所に目を向けます。「本が好きな方々の居場所作り」というのが彩ふ読書会のコンセプトです。これは穿った見方をすれば「本を読まない方」をこの時点で対象から外している事になります。「居場所」を求めている方がいても、本を読まない方は実質的に参加出来ない形になってしまっているという事です。かといって、このコンセプトが崩れてしまえば、彩ふ読書会自体が成り立ちません。そこに、少しもどかしさを感じる次第です。もちろん、これは彩ふ読書会を続けてこれているから言えている事です。もどかしさ自体も、あくまでも私個人のもどかしさであって、参加して下さる方々が感じる必要はないです。特にまだ読書会に参加した事のない方にはよく分からん記事を書いてしまって申し訳ないです(よく書いてますけどね!)誰でもこの記事は読めるため、そこらへんもあってあえてこの記事自体を埋もれさせたのでした。

居場所って、何でしょうね?

たまに自分のやっている事はとっても薄っぺらくて偽善的なのかもしれないなーなんて事も思います。まあ、そもそもは私自身が読書が好きで、読書会をやりたいという所からのスタートでもありますし、自分自身が楽しみたいって気持ちも大きいからかもしれません。でも、最初から「ここは居場所ですよ!貴方の居場所なんです!」って押しつけがましいような所は「え、いや、結構です」って拒否反応が出てしまうような性質でもあるので、そんな人間がやってるのもあって難しいニュアンスがあります。でも、「好き」って気持ちは、言葉にしないと結局伝わりませんもんね(何の話だ)

人が集まる以上、ある程度のルールはやはり必要で、でもルールを作ればそこからもれてくる部分が絶対に出てきます。で、私自身はそのもれてくる部分にどうしても目を向けてしまいがちな所があるかなあって気がしてます。彩ふ読書会でいえば、毎回参加して下さる方々はもちろん嬉しいし、私自身もホッとします。二、三か月に一度参加してくれる方や、最近では一年ぶりに参加して下さる方などもいました。皆さんの顔を見るとホッとする自分がいます。

でも、そうじゃない方。最近顔見ないなーって方も気になってきます。彩ふ読書会に参加するしない関係なく、日々が充実していれば全然問題ないです。連絡も別にめんどくさいでしょうし大丈夫です。でも、何か物足りなさを感じていながら、彩ふ読書会や他のことにも参加しづらくなっている方がいれば心配です。でも、そういった方々に私から別の角度でアプローチできる手段を今は持ち合わせていません。

第三章では、私自身が彩ふ読書会の殻を破る必要があるかなーと思いました。何でも出来るようになったからこそ、あえてその力に頼らずに、別の何かを生み出す。そして、その何かと彩ふ読書会が相互補完的になれば、もれてしまう部分を拾い上げれるかもしれません。無論、彩ふ読書会に全く頼らないというわけではなく、中には「手伝って!」と声をかける人もいるでしょう。とりあえず誰か「どこでもドア」作ってほしいです←

今回のコロナウイルス、当初ここまでとは予想してませんでした。

マスクの買い占めはまあある程度そうなるかなって思いましたが、トイレットペーパーやティッシュがデマでなくなる事態になり、納豆なんてのも一時期ありましたね。コロナウイルスそのものよりも、そこらへんでもやもやと感じる部分があります。あと、国や行政に対するバッシングもそれはそれで必要だとは思いますが、上からでは手の届かない所が沢山あって、実際に困っている方々がいる現状があることを、今回の件で改めて突き付けられた気がします。成り行きを見守る事しかできていないのはやはりもどかしいですね。そのための第三章も、ぼちぼち動き出したいなと思っています。結局具体的な事は一切書いておりませんが、今日はこれにて終わります。ちゃんちゃん。