痛々しい時代の話をしようか②

先日ライブに行ってきた。

コンサートやライブには年に一回行くか行かないかだけど、年々楽しみ方が分かってきて楽しい趣味の一つだ。

以前の私はライブに行ってもただ眺めているだけの人間だった。アーティストが「みんなも一緒に!」と煽っても一緒に歌わないし、手を振ったりもしないし、拍手もしない。それでも楽しんではいるのだけど、斜に構えていていた所があって「絶対に動かんぞ!」と腕組みをして仁王立ちしていたのであった。今思えばもったいないことをしたなあと思う。

今は周りの様子を見て同じように声を出したり手を振ったりしている。その方が断然楽しいと気づいたからだ。

最初に気づいたのはミスチルのライブだった。桜井さんが観客にマイクを向ける。観客が皆で歌を繋ぐ。私も大好きな曲だったので声を出してみた。すると、不思議な事が起きた。声よりも涙が出たのだ。何これ?何なのこの感覚!一気に受け入れられたような感覚!この日この瞬間、私は間違いなく会場にいる皆と一体となった。

――思ってるほど、見られてないよ。

とは、嫁からちょいちょい言われている言葉だ。

恥ずかしさはあるけれど、一度声を出してみたら案外気持ちいい事にも気づく。そして自分が思っているほど、周囲は自分のことを見てはいないし、気にもしていないことにも気づく。むしろ「絶対に動かんぞ!」ってしている人の方が目立ってる。私がそうだったからかもしれないけれども。

先日のライブでは直前に嫌な事があったのだけれど、会場に着いて皆がワクワクしているのを見ていると、色んな事が「ま、いっか!」となった。腹から声を出して歌ってみた。元気が出た。やっぱりええな〜って思った。

 

 

ライブで思い出したのだけれど、大阪にやってきた頃、私はコンビニでアルバイトをしていた。その頃よく同じ時間帯に入ってた人がコピーバンドをやっていた。仲良くなって自宅に遊びに行き、夜な夜なその人が好きなバンドの映像を見せてもらった。

彼のライブには結局行けなかったけれど、他の誰かのライブには行った事がある。小さな箱で、お客さんも十人くらいでガラガラだった。けれど、そんなの関係ねえとばかりにバンドメンバーは自分たちの音楽をやっていた。今はもう歌声も思い出せない。何故行ったのかも思い出せない。けれど、その時の光景だけはすごく覚えている。

ステージ上にいる彼らと、ステージを見上げる自分。その頃の私は、小説家を目指していると言いつつ何もしていなかった。私はステージに上がってさえいなかったのに、斜にだけは構えていた。

路上ライブの歌声にふと足を止めて、最後まで聞いてCDを買った事もあった。一時期の私はそんな彼らに強烈な反発心を抱きながらも強烈に惹かれていたのだと思う。

コンビニにはお笑い芸人もいた。私が辞めた後に入ってきた人なので一緒には働いていないのだけれど、一度アルバイトの人だけで飲み会が開かれてその時に会った。彼は売れない芸人だった。マシンガントークで喋っていた。数年後、テレビで見るようになった。不思議な感じがした。

“ファイト!闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう”

は、先日京都のオトナの学童保育で行われた企画「推し歌詞披露会」で紹介された中島みゆきさんの歌の歌詞だ。まさにその頃の私だ。ステージに上がり、ライトに照らされた彼らを、私は笑っていたのだ。心のどこかで私もステージに上がりたいと思いながら。そんなもがいていた時期が、私にもあった。

コピーバンドの人も、私がライブに行ったバンドの人も、今はどこにいるのか知らない。お笑い芸人はテレビでは見なくなった。そんな人たちは、いっぱいいる。一時期互いの人生が少しだけ同じ場所にあって、時期が過ぎると別々の場所にいて、互いに互いが生存しているのかすら分からない状態。そんな人たちは、いっぱいいる。

そんな事を思い出したのは、先日上原隆さんの「友が皆われよりえらく見える日は」を読んだからだ。課題本にならなければ読まなかったであろう本こそ、色々と自分の何かを引き出してくれるなあと常々思う。加えてこの記事を書くにあたって推し歌詞披露会で紹介されたフレーズたちが頭の中に浮かび上がってきたりする。少しずつ、引き出しが多くなっている感覚は確かにある。

 

 

最近は陽の部分が多いな、とも思う。

大人になるにつれて危険察知能力が高くなっていった。危険そうなものには近寄らなくなった。私自身も陽の部分しか見せなくなった。それが少しつまらないな、と思う時もある。危険を避けてきた事と引き換えに、何か起こるかもしれない、という期待感を失ったような。そんな気がしている。単に思い出補正がかかっているだけかもしれないけれど。

かといって昔に戻りたいとは思わない。

その時その時の出来事を経て、今があるからだ。

今、私はステージに上がっている。読書会でも、仕事でも、プライベートでも。

中島みゆきさんの歌を引用させてもらうと、闘わないやつらに笑われる立場なのかもしれない。ほらいわんこっちゃない、私が言ってた通りになったでしょ?だからやめといたらって言ったのに……そんな事を言われる立場だろう。

だからといって、笑うやつらを否定はしないし見下すようなこともしない。笑う側笑われる側といった境界線を引くのではなく、ステージに上がりなよ、と強引に手を引っ張るような事でもなく、あれ?気がついたらステージに上がっちゃってたよハハハと共に笑い合えるような、そんな関係を紡いでいきたいと私は思っている。

今は笑いたければ笑うがいい。私もとびっきりのギャグをお見舞いしてしんぜよう。あなたバカね、そうなのよ、なんてやりとりも楽しいではないか。

ちなみに私は十年後ぐらいにこの記事を読み返して悶えていることだろう!今回の記事を『痛々しい時代の話をしようか』シリーズ第二弾にしたのは、つまりそういう事である。過去の痛々しい時代を語っているのではない。まさに今!これから!これが痛々しい時代になっていくのである。結局毎回何が言いたいのかよく分からなくなってくるけれども、毎回のことなのでもういいかと思い始めている。そんな所で今日は終わる。

それでは、また!