暗黒時代を語る時がやってきた⑩ラスト

このシリーズもいつの間にやら第10弾。よくここまで書けたもんである。色々とネタは尽きないのだが、キリも良いのでこのシリーズはここでラストにしたいと思う。始まりがあれば終わりもあるのだ。

先に言っておくがこの話にはカタルシスなどはない。ラスト記事なのに、ただただ胸くそ悪くなるだけの話である。

 

 

高校時代、修学旅行先は大阪だった。

うちの学校では四つくらいコースがあって選べる方式だったのだが、大阪以外は全て海外だった。海外に少し興味はあったもののプラン料金はかなり高かった。行けるわけがない……とすぐに諦めた私は、親には「友達も大阪選んでるから」と言って大阪を選んだ。選んだというよりも一択だった。親孝行な息子である。

初の関西。しかし正直な所、USJに行った記憶しか残っていない。その頃のUSJはまだ今ほど人気もなく、ジョーズやウォーターワールドだけ楽しんであとは椅子に座って友達と喋っていた記憶しかない。私は修学旅行中、何をしていたんだろうか?

以前の記事にも書いたが、東京と大阪のどちらかを選ぶ時、私はあっさりと大阪を選んだ。担当者の言葉に影響されたってのもあるけれど、案外この時の経験も影響していたのかもしれない。

USJに行く度に「修学旅行で行った時とは変わったな~」と思う。ただ、それだけだけど。特に思い入れはないので今のUSJの方が楽しいとも思ったりする。

修学旅行には友達四人と行った。普段からつるんでいた四人だ。彼らの連絡先を私は知らない。地元を出てから何回か会いはしたがそれきりだ。高校限りの付き合いだったといえよう。

 

 

私はスクールカーストの底辺予備軍だった。友達三人もである。ヤンキー二人組が頂点にいたので、他はいつ底辺になってもおかしくないという構図だったのだ。頂点以外は全て底辺予備軍だ。

いつも一人でポツンとしていたクラスメイトがいた。その人は事あるごとにネタにされていた。何かを無茶振りされて出来なかったりすると笑われるってやつだ。彼はたまに笑う。それ楽しくて笑ってないよね、なんて思いながらも私は何もしなかった。かばえば次に狙われるのは私だからだ。ありがちなパターンかもしれないが、こんな状況になって立ち向かえる人はよっぽどの人物だ。この時の私には到底出来ることではなかった。

彼が目をつけられている期間、他の人たちは何もされなかった。しかし、ひとたび彼が飽きられるとクラスメイトの誰かが標的にされる。私たちはいつ自分が標的にされるか分からない恐怖を抱えながら日々を過ごしていた。

頂点のヤンキー二人が仲違いするような事はなく、大体二人でいつもつるんでいた。やがて底辺予備軍の中から二人に取り入ろうとする者が出てきた。ヤンキーも彼らを拒まないが、明らかにパシリ扱いだった。パシリたちは他の底辺予備軍に対しては偉そうな顔をしていた。

私たち四人も姑息なもので、元々は二人組同士がくっついて四人組になったものだった。その二人組、つまり私ともう一人も取り分け仲が良かったわけではない。同じ中学校だったというだけだ。顔見知りではあったが、中学時代の大人数仲良しグループの端と端にいたような二人だった。あちら側の二人組も取り分け仲が良いというわけではなかった。私たちが四人組になったのは、一人では危険だと判断した事が大きい。グループになっておけば何かと行事の時に便利ということもある。いわば打算的な集まりの四人であった。

ところが、せっかく連合結成したにもかかわらず私たちはヤンキーたちに度々目をつけられた。四人のうち一人が常につっかかっていたからである。そりゃあヤンキーたちもキレるだろうよ、ってことを彼は度々口にしていた。いつの頃だったか、ピリピリしたムードが流れていた時期があって、その頃は殴られたり蹴られたりもされていた。

 

 

 

 

そんな中で私は。

 

 

 

 

眉毛が迷走していた(〃・ิ∀・ิ)ゞ

 

 

 

 

松潤に匹敵する剛眉なため、この頃の私は眉毛の処理に邁進していたのである。

いじればいじるほど細くなり、全盛期は今の4分の1くらいの細さになっていた。今より奥二重感もすごく、「君、蜂に刺されたのかい?」ってなくらいに目元も腫れていた。目元と眉毛だけ見れば私もヤンキーだ。しかし、ピュアな瞳を隠しきれなかった。制服の上品な着こなしを破ることなど出来なかった。私の中でシャツはインするもんであった。

そんなアンバランスで中途半端だった私はヤンキーにはなれなかったし、取り巻きにもなれなかった。底辺予備軍としてビクビクしていたにもかかわらず、実際の所はヤンキーたちから相手にされていなかった。四人グループとしては目をつけられていたが、私個人としては特に何かされた記憶がほとんどない。ヤンキーの真後ろの席に座っていたにもかかわらず、だ。ヤンキーたちにとっての一番の敵は先生だった。授業中に何かと茶々をいれるのが常だった。けれど先生たちの反応があまり面白くなかったのか、しばらくすると授業中は寝るようになっていた。

私がヤンキーとの思い出として唯一あるのは出欠の時のエピソードだ。

私は声が小さい。先生が出欠をとっていた際、ちゃんと返事をしたのだが先生まで届かなかったようで「返事をしろ!」と怒鳴られた。先生は一喝したあとすぐに次の人の名前を呼んでいったのだが、私はこの時イライラしていた。ついポロリと「返事しとるわクソが」と呟いてしまった。すると、前の席で机に突っ伏して寝ていたはずのヤンキーがむくりと起き上がった。振り返って私をチラッと見た後、先生にこう言ったのだった。

「おい!ちゃんと返事しとるわ!」

それからどうなったかと、どうもなってない。先生は一瞬狼狽えたものの、何事もなかったかのように出欠をとりつづけたし、ヤンキーも先生の狼狽えた表情を見て満足したのかまた眠りに入った。

多分ヤンキーとしては先生につっかかるネタを拾ったくらいの程度だろう。特に私を擁護するつもりはなかった。けれども、私のイライラを代弁してぶつけてくれた事は私の中で妙に印象に残った。何よ!ちょっと貴方かっこいいじゃないのよ!と思いつつ、「いや、先生まじで聞こえてなかったんだと思うよ」と言いたくてしょうがなかった。言わなかったけど。

ヤンキーによる恐怖政治は三年間続いた。クラス替えのない所だったからだ。私は逃げられる場所をいつも探していた。何か些細なキッカケさえあれば学校を休んでいた。

休んだり遅刻する理由の一つとなったのが弟の不登校である。

弟は学校に行かなくなった。理由は今でも分からない。不登校が原因で弟は親から一方的に非難された。私はその渦中に自ら飛び込んだ。弟の味方をするためだ。

弟はすぐさま引きこもったわけではなく、最初の頃はたまに学校へ行っていた。とはいえ、家の玄関前から動けなくなることも多かった。そんな時、私は弟を説得して学校まで一緒に行っていた。弟を学校に連れて行ってからの通学だから私は当然遅刻である。けれどそのような大義名分を手にしているから遅刻で怒られる事はなかった。弟と一緒に休んだこともある。その日は一日ゲームをしたりした。

そんな日々を過ごしていたある日、私は表彰される事になった。

表彰名は覚えていないが、弟とのこのエピソードが賞賛されたのだ。私は何とも言えない気持ちになった。表面上は弟を想う素晴らしいお兄さんになったからだ。けれど、実際は違う。弟と仲良かったのももちろんあるが、不登校の件に関しては一方的に非難していた親への反抗心だったと今では思う。ヤンキーが私を擁護した時と思考は同じ。要は弟をダシに鬱憤をはらしていただけなのだ。けれど皆、表面上しか見ない。内面を見ようとはしない。

弟とプチ家出をした事がある。親には連絡せず、夜中まで家に帰らなかった。けれど、家以外に泊まるような所などなかったし、お金もなかった。結局近所の公園まで戻って駄弁っていた。しばらくして母がやってきた。いない間探していたらしく、母は私たちを見つけるなり抱擁して泣いた。親が嫌いでしょうがなかった私は特に心を動かされることもなく、ただただ冷めた気持ちでこの光景を俯瞰して見ていた。私はそんな奴だった。

家にも学校にも居場所がなかった。当時はそんな風には思っていなかったけれど、この頃の私はずっとどこか遠くへ行きたいと思っていた。

……私が地元を出た後、弟は学校へは行くようになった。

友達も出来て学校も無事に卒業し、今は地元で働いている。

 

 

 

・・・・・・さて、これにて暗黒時代シリーズは終わりとしよう。

 

 

 

ここに書けなかったことは沢山ある。18年間のエピソードを10回で書ききることは難しいし、自分の中で消化しきれていないものや核心に触れるようなものは書いていない。しかし、あらかた書いてみたことで一つ分かった事がある。

私が暗黒時代だけだと思っていた地元での日々は、思い返せばそうじゃない所もあったということだ。

笑って語れるようになったエピソードも沢山あって、案外良い経験をしてきたじゃないかと自分を褒めてやりたくなった。7月上旬から書き始めて一ヶ月弱。自分の過去を振り返ってみるのも悪くないなと感じた次第である。

この記事を書く上で密かに抱いていた想いがある。

それは、一人でも良いから誰かの救いにならないかなということだ。救い、というと大げさな感じもするけれど、要は「人生何とかなりそうだな!」と一人でも良いから感じて頂けたら、生きづらさを感じている人もちょっとは気が楽になるんじゃなかろうかってことだ。

生きているとしんどいことはいっぱいある。経験者からすると、しんどいことを経験していればいるほど後々の人生に活きてくるよ、役に立つよ、人の気持ちが分かる人になれるよ、とついつい語りたくなりがちだ。けれど、今この瞬間苦しい思いをしているのなら、経験になるかもなんて考えなくて良いと思う。耐える必要はないと思う。逃げ出したって良いと思う。貴方の居場所はそこじゃないどこかにあるのかもしれない。そこに固執する必要は、ないのかもしれない。

 

というところで今回は終わろう。

 

お付き合い頂き、ありがとうございました!