暗黒時代を語る時がやってきた③

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高校時代、私は弓道部だった。

何か高尚な理由があるわけでもなく、中学時代と同様またもや友達に誘われてである。大体において周りに流されやすい私は友達から付和雷同だと言われた。一見かっこいい四字熟語だ。一瞬喜んでしまったのだから友達の皮肉とネーミングのセンスはなかなかのもんである。まあそれはさておき。

弓道場は二つの校舎の間にあって、静けさの漂う空間だった。その頃は何とも思っていなかったけれど、今思い出すと割りと好きな雰囲気だ。

部活中はほとんど射場で過ごした。射場、矢場とあって的場があるけれど、弓矢を放つのは射場からである。矢場と的場には矢が飛び交うのでほとんど足を踏み入れた記憶がない。矢を取りに行く時には矢取り道を通る。

顧問の先生は誰だったか覚えていない。ほとんど来なかった気がする。私も途中からほとんど行かなくなってしまったので、それで覚えていないだけかもしれないけれど。

 

 

弓道部の思い出といえば、大人びた女の先輩がいたことだった。

髪をかきあげたり足を組み替えたりする仕草が様になっていて、高校生にはなかなかの刺激であった。

射場の中には畳の部屋もあって射場よりも一段高くなっていた。そこに腰をおろしてよく部員たちで雑談していた。ちょっと上手く表現出来ないので別の事で例えると、縁側で座って外に向かって足をブラブラしているような感じだ(お分かり頂けるだろうか……?)

ある日、私は絶好のポジションにつくこととなった。

先輩が畳の部屋で足を組んでいる正面にたまたま立つことになったのだ。狙っていたわけではなくたまたまだ。

先輩はいつもの癖で足を組み替えた。まだ部活が始まる前なので道着にも着替えていない。制服のまま足を組み替えたのだ。するとどうなるか。突如真正面に現れた未知の世界。ようこそチラリズムの世界へ……である!!

見えそうで見えない!くそう!何故見えない!正面すぎて逆に足が邪魔だ!話を振られても上の空だ!最近マラソンにはまってる?知らんがな!ええい、そんなことよりその未知の世界を見せてくれい!

この頃の私は目線が案外気付かれるものだということをまだ知らない。思わずガン見していたのはいわずもがなである。我に返って先輩の顔を見ると目が合ってしまったので、つまりはそういうことだったのだろう。先輩は特に何も言わず雑談は続いたので内心ホッとしたものの、私は多分やっちまっている。

それにしても足を組み替えるのを間近で見れたのは後にも先にもこの時だけである。ラッキーとしか言いようがない。しかし、割りと高校時代はスナイパーアイだったのか、他にも似たような思い出はある。

私は自転車通学だったのだが、風が強かったある日、同じく自転車通学だった女子の悲劇を目の当たりにしてしまった。横断歩道を挟んだ先にいた女子が風のせいでマリリン・モンローしてしまったのである。私は紳士的に目線を逸らした。まあ気づかれたくなかっただけであるが。マリリン・モンロー女子がその後どうなったかは目線を逸らしたので知るよしもない。マリリン・モンロー女子についてはただそれだけだ。特にヨッシャーとも思わなかった。

先輩の足の組み替えとマリリン・モンローの一番大きな違いは、何といってもそこにチラリズムがあったかどうかだろう。もっと高尚な言い方をすれば、そこに陰翳があったかどうかである。かの谷崎潤一郎氏も仰っていらっしゃるが、東洋と西洋の人々が美しいと感じるものには違いがある。我々は陰翳や奥ゆかしさにこそ美を感じるのだ。陰翳礼讃!

先輩の足の組み替えも、結局見えなかったからこそ良いのである。先輩からもマリリン・モンロー女子からも蹴りを入れられそうな何様目線だが、谷崎潤一郎氏も(ただの冒涜←)

私はこの時期、エアリズムよりもバカリズムよりもチラリズムが気になってくる。

見えそうで見えない。

それがまた良いのである。