そんなことよりおっぱいの話をしようぜ!②

2019年も半分を過ぎたある日、私が待ちに待った言葉を投げかけて下さった方がいた。

「あの記事読みましたよ」

あの記事とは、あの記事のことだ。まあこの記事のタイトルにしているので最早お分かりかと思うが、「そんなことよりおっぱいの話をしようぜ!」である。

▶そんなことよりおっぱいの話をしようぜ!①

この記事はTwitterでもお知らせしていないのに案外アクセスがあったりする。記事をアップしてから数日経ったというのに、毎日10人前後は読んでいかれるのだ。他の記事と比較するとなかなかのアクセス数だ。累計でいうと結構な人数になる。

おっぱニストな主催者としては「やっぱりみんなおっぱいが好きなんだな!」という証明ともなって嬉しい限り。ページを開いてすぐさまブラウザバックされた方もいらっしゃるだろうから、どれだけの方が最後まで読んだのかは分からない。しかし、確実におっぱい好きは存在するのだ!確実に!

「そんなことよりジョジョ談義しようぜッ!!①」の記事もまだ完成していないし、ジョジョも読めてないし、今は彩読LINEコミュニティの切り替え時期で色々とやらなきゃならんことがあそんなことよりおっぱいの話をしようぜ!

 

 

 

おっぱいおっぱい!

 

 

 

私は普段から目先のことに追われる傾向がある。計画的に動けたらもっと時短も出来るのだろうけれど、ついつい目に見えたことから作業を始めてしまうのだ。今回もついつい目先のおっぱいに手を出してしまった格好である。反省はしている。しかし、後悔はしていない。今しか書けないものを今書くことは、とても大切なことなのだ(ドヤア)

さて、ここまでにかかった時間は何とたったの3分。ひたすら脳内に浮かぶ言葉を打ってみたら、どんどん文字数が増えていった。書けない時は全く書けないというのに不思議なものだ。

実はあの記事を書いた時、この人なら間違いなく楽しんでくれるだろうなという方が一人いた。何故かというと、以前似たような記事を書いた時に反応して下さったからだ。私は東京読書会でとある課題本を扱ったとき、それがとってもピュアだっただけに反動でこんな記事を投下してしまった。しかもクリスマスイブに。

▶作品中の性描写について

完全に自己満足な記事ではあったが、この記事を読んで下さった方がいた。彼をサポーターに誘ったとき快諾して頂けたのは、この記事で通じ合う何かがあったからではないかと私は確信している。

私は来る7/14の飲み会で、その方とおっぱい談義をしようと思っていた。元々はそのキッカケとして書いた記事だったのである。つまり、男同士のゲス談義を想定して書いた記事だったのだ。しかし、「あの記事読みましたよ」と私に言葉をかけて下さったのは……なんと女性であった。

な、なんだってー?!w( ̄Д ̄;)wワオッ!!

LINEが来た時、私は嬉しさと同時に動揺した。

記事を読んで下さって、しかも面白かったと言って頂けるのは、文章を書いててこの上なく嬉しい出来事だ。この第二弾を書こうと思い立ったのもそれが援護射撃になったからである。しかし、今回その援護射撃は私の後頭部を貫いた。前方に気をとられすぎて、そんなところから弾が飛んで……もとい、おっぱい談義が飛んでくるとは思わなかった。

ゲス談義に持っていくのはさすがに申し訳ない気が……いや、いけるのか?いっちゃっていいのか?いやいや、あかんあかん。私のポリシーは「大体何でもオッケー!」なのだが、私は私のポリシーに反してチキン化している!とんだチキン野郎だ!ああ、酒が飲みたくなってきた。7月からはダイエットと禁酒をしようと思っていたのに初日にまさかの挫折案件である。

 

 

私はすかさずお風呂に入った。

 

 

・・・・・・あ、精神統一のためである。

 

 

どうやって返信しようかと頭を巡らせてる内にのぼせそうになった。気絶してしまったら危うくそのまま既読スルーである。それはあんまりだ。私のポリシーに反する。しかし、返信内容によってはそれも私のポリシーに反してしまう。ポリシーの谷間に挟まれて身動き出来ない状態。しかし、据え膳食わぬは男の恥といいますか、せっかく話題を振って頂いたのに振られたら振られたでチキンになってしまってはただただ相手に恥をかかせてしまうだけではないか。いや、しかしながら私もあんな記事を書いておきながら若干の気恥ずかしさがある。ああ、穴があったら入りたい……いや、おっぱいがあったら埋もれたい。あ、いかんいかん、これはまたまた私のポリシーに反する文章になってしまった!下ネタとセクハラの境界線はひどく難しい。

しかし私の脳内はとめどなくこの記事を書きたい衝動にうなされている。とりあえずこのまま進めていこう。きっと、これは伏線だ!伏線なんだ!書いているうちにどこかで回収出来るはずである。

 

 

哲学カフェの話題ともなり、実際にそのようなテーマで哲学カフェがやっていたら参加してみたいとのことだった。案外需要はあるのかもしれない。男性だけならばある程度話の展開は読めるだろう。女性だけの場合も読めるに違いない(こっちの方が凄そうだ)それをあえて、男女入り交じって哲学する。どんな展開になるかは全く読めない。

若干の生々しさが生じる環境において、それを下ネタにもセクハラにもならないよう配慮しながら真面目に語るのだろうか。きっと最初はそうだろう。互いに防波堤を作りながら展開していく気がする。しかし、その防波堤は誰かの発言によってことごとく崩壊する気がするし、むしろ崩壊しなければぐっと攻めこんだ内容にはならない気もする。

蠅の王の展開となるのか、十五少年漂流記となるのか。かなり難易度は高そうだ。そして次回以降の開催にも影響を及ぼしかねないテーマでもある。ハイリスクローリターン。哲学カフェを開催されている皆様、ご検討宜しくお願いします(自分ではやらないっていう←)

 

 

あと、子供の事もお祝いして頂けて嬉しい限りである。

連れて行けるようになったら私は自分の子を読書会に連れて行くつもりだ。きっと可愛がってもらえるだろう。

しかし!

私は既に子供に対して嫉妬している。

子供を読書会に連れていけばどうなるか。きっと、みんな可愛がってくれるだろう。抱っこしてくれるだろう。抱っこされるということは、つまり、そういうことである。

私がつい先ほど書いた「おっぱいがあったら埋もれたい」という願望をこの子はこの世にコンニチハする前から既に叶えてしまう運命(さだめ)にあるのだ!!(あ、伏線回収出来た)

きっとすくすくと元気に育つに違いない。

 

 

しかし、今改めて思ったが、私の子がこれから育っていくとして、いずれこれらの記事を読む日が来るのだろうか。来たとしたら、どう思うのだろう?

私の両親はブログをやっていない。両親が若い頃はブログ自体がなかった。親になってからの親しか知らないが、私の知る限り新しいものに飛び付くような親でもなかったから、多分ブログをやった事はない。

ブログの内容にもよるが、ブログを読めばその人の思考や生活環境などは大体分かる。ブログを始めた当初は私も自覚がなかったが、結構人柄も滲み出るらしい。逆にいえば、ブログのようなものがないとその人が本当は何を考えて何を感じているのか、そういった内面は分からない。そう考えると私は自分の家族でありながら、家族の内面が分からない。住む場所が離れて随分と経つから尚更だ。それが当たり前、親なんてそんなものだと思っていたけれど、今の子供たちは親もSNSをやっている人が多いだろう。

子には見せない親の姿を知った時、子はどう感じるのだろうか。

まだ私の子は男の子か女の子か分からない。もう分かってても良い時期なのだが、診察の時に毎回背中を向けていたりしてタイミングが合わず分からないのだ。

もし男の子だったら、おっぱい談義に華を咲かそう。息子よ、この記事をいつか読んだら私にこう声をかけてくれたまえ。「親父……俺もあの記事の良さが分かる年になったよ」と。そして酒を飲もう。

もし女の子だったら、おっぱい談義に華を咲かすことはないだろう。華を咲かすどころか、読んだ時期によっては一生埋まることのない溝が出来てしまうだろう。それでも娘よ、もしこの記事をいつか読んだら、私にこう声をかけてくれたまえ。「パパサイテー」と。そして軽蔑してくれ。ドMの私は喜ぶだろう。毎年父の日に言ってくれてもいい。高価なものなんて買わなくていい。肩たたき券もいらない。欲しいのはその言葉だけだ。……うん、悠久の時を経て目の前にモーセの十戒がやってきた(海が割れるやつー)

 

 

さて、思いがけず第二弾を書くこととなったが、何となく第三弾、第四弾と続くような気がする。それを想定して、今回はタイトルに②と数字をつけてみた。合わせて第一弾にも①とつけた。既に書く気満々である。

 

 

 

その時が来たら、また。

 

 

 

それでは!!

 

 

 

おっぱいおっぱい!!