髪の毛フィルター

先日嫁から聞いた話によると、小さなお子さんがいらっしゃるお母さん方は髪を染めると良いらしい。特に金髪がオススメだとか。

何故かというと、必要以上に声をかけられなくなるから。

Twitterの情報かもしれないし、嫁の友人の話かもしれないけれど、黒髪の頃は見知らぬおじいちゃんやおばあちゃんからよく声をかけられていたそうだ。それが髪を染めてからはパッタリと来なくなったと。煩わしさがなくなって非常にラクになったのだという。

確かに、皆が気にかけて下さるのはとてもとてもありがたい事だ。けれど、一人一人の小さな親切も、たまりたまれば過剰摂取になってしまう事もありうる。受け取る側としては断りづらいだろうし。

黒髪の女性はこういうイメージ。金髪の女性はこういうイメージ。っていうイメージは確かにあるっちゃある。社会に出るとそれが顕著ではある。中身を見てくれる人って割りと少ない。

金髪にするとおじいちゃんやおばあちゃんはヤンキーだと思って近づかないらしい。なるほどな、と思ったと同時にそれを聞いて思い出した事がある。

今は当たり前のように染めているが、私自身もそのフィルター代わりに髪を染めていたのだった。

人を見た目で判断する人は、この髪色を見て、まず声をかけてこない。イコール、私に平然と声をかけてこれる人というのは、見た目で判断しない人という事だ。

ステレオタイプな上司が一体誰なのかすぐに分かる。あちらがこちらを評価しているのと同様に、こちらもあちらを評価しているのである。

最早馴染みすぎてしまって、身近な方に髪色を指摘する人はいなくなってしまったが、今の職場に勤め始めた頃、一度別の課のお偉いさんに怒られた事がある。歓迎会の時だ。彼は私の髪の毛を引っ張り「こんな髪の色してよォ・・・」と涙目のルカばりの剣幕でお怒りになられた。髪の毛を染めていなければ分からなかった事だ。

以来、たまにすれ違う事はあっても挨拶は絶対にしない。

私の勤め先では身体障害のある方がいる。彼らを見た目で判断すれば「何も出来ない子」という判断をしてしまいがちだ。しかし、そうではない。彼らは彼らにしか出来ないことがある。無論、それは私たちにもいえる。障害のあるなし関係なく、誰もが自分にしか出来ない事がある。それを言語化するのにはひどくエネルギーを要する事だ。伝わらない人には全く伝わらなかったりもする。これまでにも私は彼らの思いを何度も伝えたくて伝わらなくて悔しい思いをしている。それでも、伝え続ける努力はしよう。

さて、この文章を読んで、まだ私とお会いした事のない方はどんなイメージをお持ちになっただろうか。

割と読書会でお会いした時に言われるのは「女性だと思ってました」だが、私はおっぱニストな主催者だ。何度も言っているはずなのだが、割と高い頻度で「女性だと思ってました」と言われる。それが良いのか悪いのか、まあどちらでも良いのだけれど、何故か伝わらない。

それでも私は努力しよう。

伝え続ける努力を。