舟を編むと自分の仕事(推し本紹介をカムフラージュに自分を語るの回)

 

東京での読書会、非常に楽しい時間でした!!

 

舟を編むを課題本としたのは、東京のサポーターさんからのコメントがキッカケでした!

 

先に漫画を読んでいたのですが、そこで西岡にすごく惹かれていたので、原作も読みたいなーと思っていたのであります(^^)

 

個人的に自己を見つめ直す良い機会となりました!ありがとうございます!

 

自分は福祉業界で働いてるんですが、気がつけばあっという間に10年目で、何でこんなにも続いているのかなあ?というのが密かな疑問でした。

 

自分にはない感覚だったからかな?と。

 

「福祉魂」とでも言うんでしょうか、それとも母性本能的な?利用者に対する接し方というのが、あまりにも優しくて家庭的で、スゲーなと思っちゃったんですよね。

 

仕事という感じでもなく、サービスを提供している風でもなく、時には親のようでもあり、時には兄弟のようでもあり、友達のようでもあり、近所のおっちゃんおばちゃんのようでもあり、お節介焼きでもあり、ほっとけないっていう感覚。これが自分にとっては新鮮な感覚でした。こりゃー勉強になるな!という思いが新人時代はあったように思います。

 

今では自分自身にも福祉魂は既に身についているなーと、もう自分のものにしてもうたなーと!良い意味で思います。まろやかパーマ頭にもなりましたしね!

 

・・・・・・けれど、やっぱり元々備わっているわけではないなーとも思います。付け焼き刃ではなくなったけれど、スキルとして身につけた感じとでもいいましょうか。装備としては身につけたけれど、元々の「福祉魂」のパラメーターが低い的な?伸びしろはあるけど、もうそこも伸びちゃったよ的な感じ(久しぶりにちょっと何言ってるか分からなくなってますね・・・)

 

今度は新人君たちにその福祉魂とやらを伝授していく立場・・・兼、まだまだ学ばなければならない立場という中間地点!!なんですが、こんな私が伝授していっちゃって良いのかしら?と。学ぶにしても自分に興味のある事しか意欲が沸かないから、めっちゃ偏っておりますしお寿司。

 

たまに「あ、この人はまさにこの業界のために生まれてきたんじゃなかろうか」って人がいます。すぐに何人か顔が浮かびます。同じフィールドにいる限り一生敵わないなと痛感するお相手。勝ち負けではないかもしれないけれど、ついつい「この人がいるなら自分がやらなくても良いかな」って考えてしまうほどの存在感。このフィールドであと10年20年と戦い続けていっても、同じようになれるかっていったら「うーん?」って感じです。時代がどうたら~は抜きにしてね。

 

いうなれば、それが舟を編むでいう所の主人公・馬締です。

 

仕事を仕事としては思っていなくって、ただひたすらに当たり前のように平然と出来てしまう。まさに彼にとっては天職。そんな風にやれてしまう人がいる。

 

対する西岡は、辞書作りに元々興味があったわけでもなく、仕事としてはそつなくこなしてしまえるけれども情熱には欠ける。

 

長く務めていれば仕事に対しての愛着も沸いてくるだろうし、彼自身も熱意のあった時期があると思うんですが、やはりどこか冷めた視点で物事を見てしまっている。自分がどう立ち回れば良いのかを理解しすぎちゃってるがゆえに、上手ーくこなせてしまう。馬締という天才が同じ部署に入った瞬間「あ、もう自分は用済みだな」と悟ってしまう。この感覚、分かるなーと。(なので、西岡が感情を発露させた瞬間⇒麗美が抱き寄せるシーンが個人的には好きでした)

 

天才には敵わない。

 

色々言い訳を考えたり戦術を考えても、結局は天才には敵わないんだろうなあと痛感する。

 

人によってはそこで嫉妬に変わって揚げ足を取ったり、自分を守るために馬締を傷つける、なんてこともやっちゃうかもしれませんが、西岡はそうはなりません。むしろ不器用な馬締が出来ないことを補っていこうとしていきます。馬締を中心にいることを前提に、自分は何が出来るかを考える。それはそれでなかなか出来ないことなんじゃないかな?

 

ヒロアカとかでもそうですけど、誰かの熱意に突き動かされる瞬間って確かにあります。逆に手のひらの音符でもあったように「諦めるって気持ちは、周りの人間に伝染するんだ」って事もある。午前の部で紹介された「空想教室」はまだ読んでないですけども、夢を語って「無理でしょ」って否定されたらやっぱりそこで挫けてしまうのが普通。周りの空気感とか環境ってやっぱり大事だなーと感じます。

 

熱意を自然と作れちゃう人って物語では「主人公」になりやすく、西岡はやっぱり物語でいうと脇役的な立ち位置だなあと。そして、自分も同じように今の職場で主人公にはなり得ない。多分ずっと脇役だろうなあという気配プンプンです。脇役あっての主人公ですけどね!(遠吠え)

 

 

・・・・・・で。

 

 

読書会をはじめてみて。

 

 

読書会をはじめた自分を振り返ってみて(まだ振り返るには早いけど笑)

 

 

読書会に参加された方が笑った瞬間。よっしゃ!って思います。それが冷笑であってもね!何より嬉しいことです(嘘くさく感じるかもしれませんが、これマジですからね!)

自分自身が楽しむという感覚はそっちのけで、どうしたら皆さんに楽しんでもらえるかな?どうやったらより良くなっていくかな?居心地が良いと感じてもらえるかな?って事をひたすら考えています。ただ、一人では限界があるのも事実で、サポーターさんにはいつも助けられてばかりです。いつもありがとうございます。

 

昨日「のーさん、読書以外の趣味って何ですか?」って聞かれた時、咄嗟に思い浮かばなかったんですが、言われてみれば趣味らしき趣味というのは今までなかったかもしれません。ゲームは好きでしたけども。今は居場所作りが趣味になってますね←

 

「居場所作り」という発想は、今思えばこの仕事に就いているからこそ出た発想だと思います。居場所作り自体は他にも色んな方が実践されてますので斬新でもなんでもありませんけど、彩ふ読書会としてのスタイルは福祉発端だなーと。そこに、実際に参加して下さる皆さんがどんどん色をつけて下さって今があります。まさに彩ふ!彩ふってますね!(ノ;´Д`)ノ

 

障害のある方には~と一括りにはもちろん言えませんが、身近にいらっしゃる方々には沢山のお節介焼きさんがいます。それはたまに過剰になるほど(笑)沢山の人との関わりの中で、うざったいなと思う時もあるでしょうけれど、逆にそれによって感情を揺さぶられて、今ここに生きている、今ここに存在しているって感じることが出来るのかもしれません。障害があるから一律して可哀想なわけではないし、何かを与えられているわけでもない。こちらにも与えてくれる存在だとも思います。障害ってフィルターを通してしまうがゆえに何だかややこしくなりますけど、与える与えられるって誰と誰でも関わり合いを持てばそうなるわけで、何ら変わらないんじゃないかな、と。

 

彼らと一緒にいると、居場所って障害あるなし関係なく皆に必要だなーと感じます。逆にお節介焼きさんの方が気にとめやすい分、障害のある方は割と皆の中心にいられる気がしますし、居場所作りを始めたら私なんて敵わないってなるかもしれません(もちろん制度の狭間にいる方もいらっしゃいますけども)

 

一見、大丈夫そうに見える人でも、「ちょっと手伝って」が言えるかどうか。

 

我慢しすぎて孤独になってしまっていたり。

 

大丈夫だった人でも、何かの拍子に孤独になってしまったり。

 

誰かと一緒にいるはずなのに孤独さを感じてしまったり。

 

居場所を失うということは、自分の存在意義すらも見失ってしまうことに繋がりかねないんじゃないでしょうか。

 

生ぬるいかもしれませんが、だからこそ居場所作りは必要なことなんじゃないかなーと、今はそう感じる次第であります。

 

これを10年後に読み返してみたら「ああ!恥ずかしい!恥ずかしいこと言っちゃってるワタクシー!!」ってなってるかもしれませんけどね!( ・3・;)~♪

 

福祉の世界にいなければ、多分この感覚は持っていなかっただろうなーと思います。

 

そう思うと、今の自分を作ってくれた今の仕事もありがたいなーと思えてきます。

 

セレンディピティ♪

 

ここまで書くと何となくお察しの方もいるかもしれませんが、まあまだ置いておきましょう!!(笑)

 

タイミングってもんがありますからね!!もう少々お待ち下さい!!

 

 

ところで。

 

 

舟を編むの文庫版の最後には、馬締さんの恋文全文(といいつつ諸事情により中略あり)が収録されてます。

 

なかなか面白かった!馬締さん、ド直球でちゃんと告白してるのに!伝わってなくて残念!結果オーライですけどね!

 

以上、ほとんど作品内容に触れていない、推し本紹介カムフラージュに自分を語るの回でした。

 

結果、もんのすごい良書でした!!

 

こちらからは以上です!!

 

ありがとうございました!!